内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

選択の時 ― ポスト・コロナの世界のために

2020-04-13 23:59:59 | 哲学

 今回のような未曽有のパンデミックによって社会生活がここまで麻痺状態に陥ることを武漢での感染拡大の発端以前に予想できていた人たちがどれくらいいるのか私は知らない。その発端からわずか四ヵ月間程で世界をここまで危機的な状況に追い込んでしまったことに、自宅のテレビとコンピューターの画面を通じて時々刻々と報道される状況を追いかけながら、はじめはただ呆然とすることしか私にはできなかった。新型コロナウイルスの蔓延が現代世界の脆弱性をいたるところで瞬く間に浮き彫りにしていくのを目の当たりにして、危機意識に欠けた迂闊な半睡状態に陥っていたところに突然冷水を浴びせかけられたかのような衝撃を受けた。
 こうして自宅待機を強いられる日々がすでに四週間を超えた今、私たちの生きている現代世界が種々の意味でいかに危うい均衡の上に成り立っているのかということを、フクシマから九年後、あらためてひしひしと自覚せざるを得ない。
 各国の医療体制および医療政策の問題点が浮き彫りになったのは直接的な結果の一つに過ぎない。より一般的に見て、政官財を統括する危機管理体制の不十分さ(あるいは不在)が白日の下に曝されたことは、ポスト・コロナの世界はもはや「もとの世界」に戻ることではありえないはずだと私たちに警告している。
 弱肉強食の新自由主義によってすでに十分に深刻化していた経済格差は今回もまた弱者たちの中に数多くの犠牲者をもたらした。その論理にしたがうかぎり、弱者をさらに脆弱化し、それらの人たちを犠牲にすることによってしか機能しない社会しか存続しえない。そんな社会の中で「適者生存」の論理に支配されながら生き残りをかけて必死に戦うことを強いられてきた私たちは、その戦いをポスト・コロナの世界でも続けるのか、あるいはそれとは違った新しい社会形成の原理の構築とその実践の試みに一歩踏み出すのか、選択を迫られている。