内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

現代日本文学の最も美しい散文家の一人である原民喜の生涯と作品を今紹介したくて

2020-04-23 20:38:48 | 講義の余白から

 今日は朝からずっと原民喜の諸作品をあれこれ読み直し、それと並行して梯久美子著『原民喜 死と愛と孤独の肖像』(岩波新書 2018年)を再読しながら、すでに一応講義を終えた「近現代日本文学」の「番外編」の資料を作っていた。まだ終わっていない。
 後期に使っていた文学史の教科書には、原民喜の名前さえ載っていないのだが、この作家はもっとフランスでもちゃんと評価されるべきだと私はかねがね思っていた。翻訳はたった一冊だけである。「壊滅の序曲」「夏の花」「廃墟から」のいわゆる「夏の花」三部作を収めた Hiroshima, Fleurs d’été, Babel, 2007のみ。そのうち「夏の花」は1986年刊行の Anthologie de nouvelles japonaises contemporaines (Gallimard)  に収録されていた訳の再録である。
 大江健三郎は、自ら編集した新潮文庫版『夏の花・心願の国』の解説(その副題は「―原民喜と若い人々との橋のために」となっている)で原民喜を「若い読者がめぐりあうべき、現代日本文学の、もっとも美しい散文家のひとりである」としている。ところが、フランスの学生たちは、この稀有な資質をもった作家についても、その静謐玲瓏な文体で綴られた作品についても、おそらく何も知らないだろう。
 そこで、まずは作家の生涯についての解説が必要だろうと、梯久美子の本に基づいて資料を作っていたら、思いの外時間がかかってしまった。作品も「夏の花」三部作ばかりでなく、そのかぎりなく美しい他の散文作品の一部も原文で紹介したい。亡妻の思い出を素材とした作品群と「夏の花」三部作以後1951年11月の自殺に至るまでに発表された作品群の中からも紹介したいと欲張っているときりがない。
 以下に引くのは、妻貞恵が亡くなる直前に書かれた小品についての梯久美子の評言である。

 六篇はいずれも、ヒステリックなまでに戦時色が強まった一九四四(昭和十九)年によくぞ書いて発表したと思えるような作品である。常套句を使わず、声高にならず、平易な文章で何でもない日常を描く――それは、非日常の極みである戦争に対する、原の静かな抵抗であった。(142-143頁)

 今の状況を語るのに戦争を比喩として使うことは控えたい。ただ、こんなときこそ文学の静かで持続的な力が必要だと私は思う。