内的自己対話-川の畔のささめごと

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近代西洋古典教育の産物としての「古代ギリシア哲学」から古代ギリシア哲学の実像へ立ち返る遠い道のり、あるいは「カエサルのものはカエサルに」

2019-11-10 23:59:59 | 哲学

 Pierre Vesperini, La philosophie antique. Essai d'histoire, Fayard, 2019 は、ヨーロッパ近代における西洋古典教育によって西洋の「文化遺産」として収奪され、西欧思想の起源という地位に祭り上げられた「古代ギリシア哲学」を、歴史的現実としての古代ギリシアにおけるその本来の社会的活動としての philosophia に復位させ、その多様な様相を描き出す試みである。西洋哲学史の第一章として、宗教や神話から脱却して「理性を思考の原理とする最初の哲学者たち」の輝かしい列像からなる「古代ギリシア哲学」という虚像を解体し、古代ギリシア哲学に対して、いわば「カエサルのものはカエサルに」を実行する歴史家による脱構築の試みである。
 それを著者は「デカルト的」な古代への接近という(p. 12)。しかし、それはすべての判断を中断する方法的懐疑を実行するということではなく、「私たちが学校で学んだすべてのこと」を括弧に入れ、虚心に事柄そのもの向き合うということである。そのようにしてはじめて、私たちは「見ずに見ていたものを発見し、読まずに読んでいたものを読むことができる」ようになるだろうと著者は言う。