今日の午後、『この世界の片隅に』の片渕須直監督の講演が大学の階段教室で行われ、夜には、ストラスブール市中心部の映画館で同映画の一回限りの上映、それに引き続いての監督と会場との質疑応答があり、それらすべてに参加した。
それらは、監督の映画作りの現場を垣間見るという得難い機会となったばかりでなく、アニメーションの魅力とは何なのか、という本質的な問いへの答えを、少なくともその答えへの一つの手がかりを得る貴重な機会ともなった。
講演では、『枕草子』を題材とした次作の準備過程について詳細にお話ししてくださった。ほとんど学究的とさえ形容できるその徹底した時代考証作業についてのお話を聴きながら、いったいどこからその情熱は来るのだろうかと問わざるを得なかった。
会場からの質問への監督の応答の中に、その答えはあった。その答えの要は、まさに « animation » という語の本来の意味と一致している。つまり、端的に、「命を吹き込む」ことなのだ。登場人物の一つ一つの挙措を、そのそれぞれがその人物の「人となり」そのものとなるまで、何度も何度も描き直す。その過程でその人物が生動し始める。それは、一つの生命の誕生なのだ。
『この世界の片隅に』の主人公北條(旧姓浦野)すずは、まさにアニメーションによって賦活された「生きた」存在なのだ。その家族、隣人たち、友人たちもまた。それらの人物は、「フィクション」であるにもかかわらず、生身の人間ではない二次元の「キャラクター」であるにもかかわらず、生きている。いや、この言い方は適切ではない。「現実」と「虚構」という対立図式自体が私たちを〈命〉から遠ざけているのかも知れない。