「アンセルムス革命」以後の十二世紀の霊操史の展開を Cédric Giraud の Introduction によって見ておこう。
十一世紀の「アンセルムス革命」からさまざまな霊操がその形を洗練させていく。十二世紀に入って、修道院において新たに練り直されたそれら霊操がキリスト教的な完徳へと至る道程を描き出している。
その道程は、読誦(lecture)・瞑想(méditation)・祈り(prière)・観想(contemplation)という四つの階梯を経る。読誦において真理を見いだし、瞑想がその真理を内在化させ、祈りがその真理の成就を求め、最後に観想がその真理を味わわせる。
読誦は、聖書と教父たちの著述がその主な糧であり、救済へと至る途上のすべての出来事に関わり、創世記から近年の教会史にまで渡る。
瞑想は、人を変容させる力を持っている。というのも、一つの真理を絶えず思い返すことは、瞑想する者に深い感動を引き起こすからである。例えば、最後の審判を瞑想することは、畏れを抱かせ、キリストの受難は信頼へと導くはずである。
祈りは、神や聖人たちに助けを求めることである。それは、内的変容の最終段階にまで至り、観想においてその変容を成就させるためである。
霊的現実に注がれた内的眼差しである観想は、それぞれの著作家によってさまざまな形を取る。愛に満たされた神との合一という形を取ることもあれば、あらゆる感情や表象の彼方にまで魂を高めるという形になることもある。