昨日金曜日の午後は、前期に各教員が回り持ちで一回だけ担当する Méthodologies disciplinaires というマスター一年生向けのゼミの私の担当回でした。このゼミでは、各教員が自分の専門分野での方法論を自由に語ることができます。一回三時間、時間はたっぷりあります。
ただし、私の場合、いくら哲学が専門分野とはいえ、日本学科のゼミですから、哲学そのものを正面から語るわけにはいきません。日本思想史における私の方法論(などと偉そうな言い方ができるような仕事はしていないわけですが)をおずおずと語ることになります。
それに、こちらのこれまでの研究内容を相手構わず一方的に捲し立てただけでは、学生たちには理解し難く、ただただ苦痛な拷問のような三時間になってしまいます。
そこで、落語のひそみに倣って、枕として、万葉集研究に挫折した後、なぜフランス哲学を選んだかというところから説き起こし、現在に至るまでの紆余曲折に満ちた我が「荊棘の道」について、浪花節的でお涙頂戴式に脚色と誇張を交えて、講談風に語るところからゼミは始まります。
枕の話で笑いも十分に取り、教室の空気が和んだところで、私の過去の研究から、いくつかの例を挙げつつ、哲学を基礎に置きながら、いかに日本思想史研究を行うか、という本題にやおら入るわけです。
博論提出以後に話を限ってもすでに十六年が経過していますから、いくら浅学菲才・懶惰無精の身とはいえ、仏語で出版した論文もそれなりにあり、その中から、学生たちに比較的わかりやすく、日本研究らしい体裁を整えた論文を選定する作業は、私自身にとって、これまで自分はいったい何をやってきたのかという問いを改めて自分に突きつけることでもありました。
相手はたった六人ですし、小さな演習室ですから、関心をもって私の話を聴いてくれているかどうかは、直にビンビン伝わってきます。ちょっと話が抽象化すると(例えば、西谷啓治の「空の思想」の話とか)、途端に彼らの集中力が低下するのがわかります。そんなときは、すぐに話題を切り替えます。
そんなこんなで、それでもかなりテツガク的な話を二時間以上に渡ってしたのですが、比較的よく聴いてくれました。学部生のときから哲学的な関心をもっていて、私が修士論文の指導教官になっている学生からはいい質問も出ました。全体として、彼らにとっていくらかは「刺激的な」話ができたかなぁ、といったところです。
ちょっと話は逸れますが、先月来、ドイツのフライブルク大学で京都学派についての博士論文を準備している学生が私の別の授業に出席してくれていて、その学生から今度自分の博論について意見を聞きたいとの依頼を受けています。
ストラスブール大学で日本の哲学について研究できる環境を整える、これが黄昏れていく人生の中で恍惚としかけている東洋の老生の見果てぬ夢であります。