内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

小さな幸せ日記 ― お湯の出る暮らしのありがたさ

2019-09-19 23:20:36 | 哲学

 東京での夏休みを終えて帰国してから今まで、かれこれ四週間近く、ずっと黙っていたというか、このブログの話題にはしなかったことがあります。それは、隠しておきたかったからというわけではありません。むしろ人様にとってはどうでもいいことだから、書くこともないかと思っていただけのことです。
 自宅の暖房湯沸かし器がずっと故障したままで、お湯が使えなかったのです。お風呂はもちろんのこと、シャワーもお湯が出ず、洗面所も台所も水だけでした。
 幸い、ここまで比較的暖かい日が続いていましたし、体を洗うのは、毎日のように通っているプールのシャワー室で、持参したシャンプーと据え付けのボディシャンプーを使ってできましたから、そんなに困りませんでした。プールに行けない日は、濡れタオルをレンジで加熱し、温水摩擦で体を清潔に保つようにしました。食器洗いは、お湯が普通に使えていたときは、できるだけお湯だけで洗剤を使わないようにしていたので、この四週間は、鍋でお湯を沸かして対処していました。
 修理になんでこんなに時間がかかったのでしょうか。「簡単に」ご説明しましょう。
 借家なので、自分で勝手に業者に修理を頼むわけにはいかず、まず、不動産会社に事情を説明し、どの業者に連絡すればいいか尋ねます。指定された業者に私自身が電話し、修理を頼みます。次に、不動産会社にその業者に修理発注してくれるように頼みます。業者は、不動産会社から受注すると、私に電話をくれ、担当者の訪問日を決めます。担当者が来ます。その日は、見積もりだけです。その見積もりが業者から不動産会社に送られます。不動産業者は、大家の同意を確認し、修理の発注をします。それを受けて、業者から修理日を決めるための電話が私のところに来ます。
 ようやく修理に来たのが9月9日でした。ところが、その日に修理は完了しませんでした。最初の見積もりに基づいた部品交換では直らなかったのです。修理に来た担当者は、不動産業者に連絡して、追加の修理の許可を得ると言い残して帰っていきました。しかし、一週間待っても、何の連絡もなし。そこで不動産業者に、いったいどうなっているのか問い合わせました。すると、修理業者から、私が在宅の日を問い合わせる電話があり、日時を決めました。時間通りに担当者が来てくれました。しかし、それは見積もり作成のためだけでした。その見積もりが不動産会社に送られ、大家の同意が得られると、不動産会社から業者に修理依頼が行き、業者から私に電話があります。担当者が来ました。それが今日だったのです。
 今日、やっとすべて直ったのです。お湯が出るようになったのです。台所も洗面所も、もちろんお風呂も。蛇口をひねるだけで、魔法のようにお湯がいくらでも出て来ます。ただそれだけのことで、幸せな気分になります。今さっきまで、帰国後初めて、ゆっくり湯船に浸かり、その幸福を噛みしめていました。
 寒い冬はまだ先の話ですが、ガス温水暖房もこれで心配なし。担当者はとても親切で感じのいい人で、何かトラブルがあったら、不動産会社を通さずに直接連絡くださいと言ってくれました。
 今日は朝から明日の授業の準備をずっとしていて、業者の人が修理中も準備を続けていました。夕方、「ムッシューk、すっかり直りましたよ」と声を掛けてくれたときの嬉しかったこと。業者の人もここまでどれだけ時間がかかったかわかっているので、「自分も、やっと仕事が完了して嬉しい」と言っていました。
 当たり前のことが当たり前に機能していれば、それを喜ぶこともありません。今回の一件は、普段当たり前だと思っていることが機能しなくなると、それがどれだけ生活に影響を及ぼすかを、身をもって知る機会となりました。
 蛇口をひねり、お湯が出てくるたびに、それだけで嬉しくなる。そんな気分の中でこの記事を書きました。