内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

国際シンポジウム「『間(ま)と間(あいだ)』― 日本の文化・思想の可能性」初日

2015-03-12 01:02:40 | 雑感

 昨日11日から、CEEJAとストラスブール大学での三日間に渡る国際シンポジウムが始まった。
 そのタイトルは、今日の記事の通り。初日の昨日は、午前中の詩人吉増剛造氏の講演・パフォーマンスから始まった。これが素晴らしかった。
その場で生まれてくる詩人の言葉に間近で触れ、物から聞こえてくる「声」や言葉と言葉の隙間から漏れてくる「声」に耳を澄ましそれを聴き取ろうとする詩人の姿を目の当たりにし、そして、詩人としての日々の身体的実践がいかなるものかを垣間見ることができた。本当に得がたい経験だった。
 しかも、今回のシンポジウムのテーマを、詩が生まれてくる場所の問題として、ご自身のその現場から捉えられた、とても深い内容を湛えた言葉の数々であった。聴きながら、こちらの思考が沸騰するかのように刺激されるのを覚え、始まりかけた思考の痕跡を残すべく、殴り書きのメモを書きつけた。
 吉増氏とストラスブールとの縁は深い。十六年前には、その詩集『オシリス、石の神』の仏訳出版を記念して、市内の書店で講演をした事があった。そのとき日本語学科の講師をしていた私は、同僚がその仏訳を講演中に朗読することもあり、その講演会に出席し、お目にかかったのが最初だった。翌年、同学科で折口信夫についての講演をしていただいたこともあった。その講演の席には、彼の詩の仏訳を著作の一つで引用したことがあったジャン・リュック・ナンシー先生もいらっしゃっていたのを思い出す。
 午後は、ブラジルの大学の先生方三人のご発表。日本語と日本社会における間(ま)と間(あいだ)という括りのパネルだった。そのテーマに学術的研究として切り込むだけの明確な視角と方法論を持っていたとは言いがたい発表内容ではあったが、私なりにその中から問題を拾い上げ、それぞれの発表者に質問した(これには、「ホーム」側としての「挨拶」という意味ももちろんあったことは認める)。
 夕食は、コルマールのいつものレストラン Aux trois poissons(昨年九月二十六日の記事に貼ったリンク参照)で、参加者全員での楽しい会食。同席したブラジル日系人の先生方が話して下さった現地の日系社会での経験は、私には初めて耳にする話ばかりで、本当に目を開かれるような思いであった。