内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

長い紆余曲折を経て、この地に「所を得て」働ける喜び

2014-09-26 20:30:15 | 雑感

 今日の日本古代史は、大化改新がテーマ。一九六〇年代に入り、『日本書紀』の本文研究の進展にともなって、「大化改新の詔」の細則を規定している副文ばかりなく、主文についてもその歴史的信憑性を疑う学説が提出され、それを受けて、大化改新そのものについての再検討が進められ、実際の改革内容は『日本書紀』の記述に比べれば、相当に貧弱なものだったという「大化改新否定説」が影響力をもった時期があった。それによって引き起こされた学界での論争は、七世紀における中央集権国家形成過程を再検討する上で有益であったようだ。現在の教科書では、それでも主要な改革項目については数ページを割いて説明してある。しかし、ここらあたりは淡々と説明しても、面白い話にはならない。
 そこで、今日の授業では、「国家意識の目覚め」という観点から、当時の日本を取り巻く国際的緊張を地政学的に捉えた上で、その緊張によって自覚された統一国家形成の緊急性、それを朝廷に自覚させるために重要な役割を果たしたかつての留学生・学問僧たち(その多くは渡来人だった)に焦点を合わせて話した。その意図は、日本古代史を単に遠い過去の出来事、しかもフランス人にとってみれば遠い異国の出来事としてだけ学ぶのではなく、〈国家〉という統一体の自覚が何をきっかけとしてどこからどのようにして生まれてくるのかという一般的な問いに対する一つのケーススタディとして捉えさせるというところにあった。そこに外的脅威に対する対処という問題が当然出てくるわけである。そうなると、学生たちも、問題は決して単なる過去の問題ではないのだなあということに気づくわけである。
 昼は、かねてからの約束のためにコルマールまで電車で移動。すでに何度かこのブログでも話題にしているアルザス・欧州日本学研究所(CEEJA)の所長と企画部長と会食。私のストラスブール大への赴任を祝っての所長からの招待だった。
 所長自身は地元コルマールのご出身だが日本学者ではなく、もともとは高級官僚としてフランスの原子力事業のヨーロッパでの展開を行政面からサポートするために長いことジュネーブの国際機関で要職につかれていた方である。地元アルザスの経済界との繋がりも深く、まさに彼のお陰でCEEJAは誕生したようなものである。その彼もすでにかなり高齢であり、自分が退任した後の研究所と経済界との繋がりの維持が今の一番の懸案であることは、コルマール駅からレストランまでの車の中での企画部長との話でよくわかった。ご本人とお話するのはこれが三度目だが、毎回不思議と思わぬところで話の焦点がピタリと合い、お互い会話の種が尽きることがない。今日の会食も、企画部長と三人で、本当に楽しく、実りある話ができた。
 序だが、このレストラン、所長の行きつけのお店で、CEEJAのプログラムでもよく会食に使われる。私はこれが二度目。現在日本学科修士一年の学生の父親が経営している店で、魚料理が絶品。今日メイン・ディッシュで食べたイワシ、その肉厚のふっくらとした味わいといい、焼き加減といい、こんな美味しいイワシ料理、フランスで初めてだった。アドレスはこちら
 その会食の中で、地方経済の活性化のためには、国際的相互的地方間直接的関係の強化・発展がこれからの地方の生き残りのために鍵になるだろうという私の持論を展開したところ、所長もまさに同意見であり、しかもそれは、これまで学術研究・文化交流がその主たる活動であったCEEJAの将来にとっても同様なのである。ところが、このような観点からCEEJAの活動に経済界との関係強化という新しい活動軸を構築することには内部からも反対があり、容易なことではなく、そのために所長もご苦労が多いことを会話の中で少しこぼされていた。
 しかし、CEEJAの活動はほぼ全面的にアルザスの経済界の財政支援によって支えらているのであるから、今ような厳しい経済状況の中で継続的な財政支援を受け続けるためには、地元経済界の声も聞かなくてはならないのは、私には自明なことであった。のんきにメセナなどというもの上に胡座をかいていたのでは、早晩足元から組織が崩壊していくであろうことは目に見えている。
 ストラスブールに来る前に八年間いた大学では、不本意ながらも日本経済についての授業も担当していたが、もしかしたらそのとき自分が教えながら学んできたことも、ここアルザスで生かすことができるのかもしれない。
 奇しくも同じ今日の朝、かねてから知り合いであった日本人の研究者の一人からメールが届き、その内容は、彼の新しい勤務先である東京のK大学で、新たに学生たちのためのフランスでの研修の企画を立てるようにと命を受けたから、何らかの形で協力してほしいということだった。彼自身ストラスブール大学との提携を望んでおり、それに先立ってCEEJAにコンタクトをとったところ、時期的に難しいとの返事だったらしい。
 ところが、その話を昼食の際に企画部長にすると、彼女もその件については担当者から報告は受けていたが、まだ自分から返事をしていないという段階だった。そこで私が詳しくその研修内容について説明すると、それはこれからのCEEJAの新しい方向性に合致するし、所長もかねてから同大学との提携を強く望んでいたから、時期の都合さえつけば喜んでその企画を受け入れるとの即答だった。私からも大学関連の企画は引き受けると約束して、それらすべてをその知り合いの研究者に先ほどメールで知らせた。というわけで、思いもよらない「仕合わせ」で、早速一つの新しい関係構築に一役買ったことになる。
 今日一日のこのような嬉しい出来事の連鎖を今こうして記事にしながら思い返しつつ、心の深いところでの静かな感動とともに、改めて思う。私の人生のこれまでの紆余曲折のすべては、この地で「所を得て」働くための準備期間だったのだ、と。













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