内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

ヴァロアの古国に響くフランスの心 ― トクヴィルとネルヴァルにおける「失われた時」(二)

2014-12-11 07:32:39 | 随想

 ネルヴァルの名作『シルヴィ(Sylvie)』は『火の娘たち(Les filles du feu)』という作品集に収められており、邦訳は筑摩書房のネルヴァル全集第五巻に収録されている。「ちくま文庫」からも『火の娘たち』が出版さているが、どちらも未見なので、同一訳なのか後者が前者の改訂版なのかどうかはわからない。『シルヴィ』は近代フランス文学の代表的な名文としてフランス語学習の教材としてもよく使われるからだろう、『大学書林語学文庫』シリーズの一冊としても出版されている。フランスでは、もちろんのこと、多数のポッシュ版が出ていて、いつでも簡単に入手できるし、専門家による研究も多数、解説書の類にも事欠かない。
 日本の一流の仏文学者による立派な邦訳があるのに素人の私が拙訳を掲げるのは、いくら自分のブログの記事の中でのこととはいえ、作品そのものに対する冒涜と言っていいだろうし、邦訳者の方にも失礼極まりない愚行であるから、原文をそのまま掲げ、おおよそ中身がわかるような意訳にコメントを加えるという形で、今日明日の二回に分けて、「アドリエンヌ」全文を読む。

 Je regagnai mon lit et je ne pus y trouver le repos. Plongé dans une demi-somnolence, toute ma jeunesse repassait en mes souvenirs. Cet état, où l’esprit résiste encore aux bizarres combinaisons du songe, permet souvent de voir se presser en quelques minutes les tableaux les plus saillants d’une longue période de la vie.

 語り手は、うまく寝付けずに、ベッドで微睡みの中に沈んでいる。すると、少年だった頃のことが次々と思い出されてくる。このとき精神は、もう日常の現実世界から離脱し始めているが、まだ半覚醒状態で、夢の中でのような奇妙なイメージの結合に対してはまだ抵抗を続けている。つまり、夢と現とのあわいという境界領域を精神が彷徨っている状態である。こんな状態にあるとき、長い人生の中で際立った出来事の場面が何分かの間に押し寄せて来ると語り手である「私」は言う。
 以下の場面は、だから、自分の少年期に現実にあった出来事の想起ではあるのだが、その出来事が夢と現とのあわいという「今ここではないところ」に立ち現れることで、現実の時間性から解放される一方、どこにもないものの夢想の儚さに陥ることもなく、それ固有の現実性が純化され、きわめて美しい表現として結晶化している。

 Je me représentais un château du temps de Henri IV avec ses toits pointus couverts d’ardoises et sa face rougeâtre aux encoignures dentelées de pierres jaunies, une grande place verte encadrée d’ormes et de tilleuls, dont le soleil couchant perçait le feuillage de ses traits enflammés. Des jeunes filles dansaient en rond sur la pelouse en chantant de vieux airs transmis par leurs mères, et d’un français si naturellement pur, que l’on se sentait bien exister dans ce vieux pays du Valois, où, pendant plus de mille ans, a battu le cœur de la France.

 古色を帯びたアンリ四世時代のお城がまず描出される。そして、夕日がその燃えるように赤い光線で木の葉を突き刺している楡と菩提樹で囲まれ、緑に彩られた大きな広場へと場面は転ずる。その広場では、少女たちが芝生の上に輪になって、母親たちから教わった古い歌を歌いながら踊っている。その飾り気のない純粋なフランス語は、千年以上もの間フランスの心が鼓動してきたヴァロアの古国に今自分が立っているのだということを実感させてくれる。広場に響く少女たちの歌声は、長い歴史の中を生き続ける〈フランス〉の精髄そのものの現前に他ならない。

 J’étais le seul garçon dans cette ronde, où j’avais amené ma compagne toute jeune encore, Sylvie, une petite fille du hameau voisin, si vive et si fraîche, avec ses yeux noirs, son profil régulier et sa peau légèrement hâlée !... Je n’aimais qu’elle, je ne voyais qu’elle — jusque-là ! À peine avais-je remarqué, dans la ronde où nous dansions, une blonde, grande et belle, qu’on appelait Adrienne. Tout d’un coup, suivant les règles de la danse, Adrienne se trouva placée seule avec moi au milieu du cercle. Nos tailles étaient pareilles. On nous dit de nous embrasser, et la danse et le chœur tournaient plus vivement que jamais. En lui donnant ce baiser, je ne pus m’empêcher de lui presser la main. Les longs anneaux roulés de ses cheveux d’or effleuraient mes joues. De ce moment, un trouble inconnu s’empara de moi. — La belle devait chanter pour avoir le droit de rentrer dans la danse. On s’assit autour d’elle, et aussitôt, d’une voix fraîche et pénétrante, légèrement voilée, comme celles des filles de ce pays brumeux, elle chanta une de ces anciennes romances pleines de mélancolie et d’amour, qui racontent toujours les malheurs d’une princesse enfermée dans sa tour par la volonté d’un père qui la punit d’avoir aimé. La mélodie se terminait à chaque stance par ces trilles chevrotants que font valoir si bien les voix jeunes, quand elles imitent par un frisson modulé la voix tremblante des aïeules.

 語り手「私」は、その踊りの輪の中で唯一人の男子であった。一緒に連れてきた隣村のシルヴィという名の少女は、生き生きとして新鮮で、真っ黒な瞳と整った横顔、軽く日焼けした肌を持っていた。「私」は、彼女だけを愛し、彼女しか見えていなかった、と言う。しかし、直後に、「そのときまでは!」と付け加える。
 「私」は、踊っている輪の中にいる、金髪で背の高い美しい少女に気づく。皆は彼女をアドリエンヌと呼んでいた。突然、その踊りのルールに従って、アドリエンヌは輪の真ん中に「私」と二人だけ立たされてしまう。背丈はほぼ同じ。皆はキスするようにと二人を囃したて、ダンスとコーラスは次第に激しくなっていく。「私」は、彼女にキスをしながら、彼女の手を握り締めずにはいられなかった。長い金色のカールした髪が頬に触れる。その瞬間、今まで経験したことのない心のときめきが「私」の体を貫く。
 アドリエンヌは、ダンスの輪の中に戻るために歌を歌わなければならないことになる。皆が彼女の周りに座るとすぐに、この霞棚引く国の少女たちのそれのように、みずみずしく、心に響き渡る、薄いヴェールのかかったような声で彼女は歌いはじめる。歌は、恋をした罰として父親によって塔の中に閉じ込められた王女の不幸を物語る悲しみにあふれた昔の恋愛歌の一つであった。メロディーは詩節ごとにトリルで区切られ、そのトリルは、アドリエンヌの若い声が抑揚をつけられた顫音によって祖先たちの声を真似るときに、ことのほか際立つ。
 このときのアドリエンヌの歌う姿と歌声とは、「今ここにはなく」、もはやそこには立ち戻れないがそれこそが古国ヴァロアの歴史の精神的源泉であるものから流れ出ている〈高貴なるもの〉の現在における間歇的湧出の一つの形として、聴く者の心を打つ。