内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

『マルゼルブ フランス一八世紀の一貴族の肖像』(承前)

2014-12-20 23:22:00 | 読游摘録

 昨日紹介した木崎喜代治『マルゼルブ フランス一八世紀の一貴族の肖像』は、初版の復刊、あるいは、より広い読者が期待される「岩波現代文庫」としての復刊が是非望まれる一冊である。
 一九八六年に出版された同書は、今でも、マルゼルブの思想と行動とを理解するために有益な数少ない日本語文献の一つであり(本国フランスでは、マルゼルブ没後二百年を記念して開催されたシンポジウムや記念行事を境に大きく状況が変化し、マルゼルブの全体像に迫る新しい研究成果が重ねられてきている)、そこには、歴史的関心を超えて、政治的理念を生き抜くとはどういうことなのかという根本的な問いに関して、示唆に満ちた行文をいたるところに見出すことができる。
 同書の「おわりに」の最後の二段落を引用する。

 もちろん、ある人間の政治理念は、かれを動かす根本理念の一つの表現形態にすぎない。マルゼルブのこの根本理念は、人間の大義の擁護とでも名づけるほかはあるまい。支配階級の古い貴族の一員として生まれつき、そこから逃れることのできない一人の男が、人間の大義の擁護のために献身しようとすること――この滑稽なほど矛盾した事態こそ、マルゼルブの悲劇と称されるものを生み出してきたのであろう。人間の大義に味方すればするほど、かれは自分もその一員である体制そのものをますます攻撃することになった。出版統制局長でありながら、みずから法を破って、新思潮を載せた書物の刊行を保護したとき、また、租税法院院長でありながら、租税法院そのものの存在をかけて、徴税人の横暴から一介の名もなき市民の権利を擁護したとき、あるいはまた、大臣でありながら、その国家の精神的統一を犠牲にして、ユダヤ人やプロテスタントに市民権を与えようとしたとき、かれは、まさに、人間の大義の名において、フランス絶対王政を転覆するのに最大の力をかしていたのである。国王の弁護というかれの最後の行為も、状況は異なるとはいえ、同じように理解される。かれは、その生命を賭して、人間の大義を擁護することにおいて、圧政的権力に抗議したのである。かれはついに政治的人間となることはできなかった。かれは、いかなる地位にあっても、いかなる状況にあってもつねに、形容詞なしの、単なる人間でありつづけたのである。
 しかし、マルゼルブは未来を信じていたのであろうか。「かれは、紅海を渡るまえに約束の地がある、と信じていた」とサント-ブーヴはいう。一八世紀フランスにおいてリベラルであるとはそういうことなのであろう。しかし、かれの政治的生涯と政治理念を概観したいま、われわれはむしろ、「かれは、紅海を渡るまえに約束の地がある、と信じているかの如くに行動した」というべきではないであろうか。フランス絶対王政の死とともに、そしてその国王の死とともに、その生命を絶ったマルゼルブは、そのことによって、革命のあとに来るものがもはや自分たちの世界ではないことを知っていることを示したのではないであろうか。マルゼルブの原理は不動であった。そしてそのことゆえに、一七八八年以降あまりにも急速に、次々と現われる新しい状況にかれは次々と乗りうつるすべを知らなかった。世紀の半ばにおいてフランス政治思潮の先頭に立っていたマルゼルブを、新しい状況が追い越して行ったのである。その新しい状況がしばしば揺りもどしを伴わざるをえない性質のものであったとしてもこの事態にかわりはない。大革命のとき、かれは過去の人であった。かれは新しい時代を生むために、その七二年の生涯を捧げた古い時代の人間であった。マルゼルブの死は、いま消えようとする古き時代に捧げられたもっとも美しい頌歌であった。