内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

人種理論の起源再考 ― 聖書からダーウィンまで

2014-12-03 16:27:42 | 読游摘録

 アンドレ・ピショ(André Pichot)の Aux origines des théories raciales. De la Bible à Darwin, Flammarion, 2008 を読み始める。
 この著者の著作中邦訳されているのは、『科学の誕生』(上・下、せりか書房、一九九五年。原書は La naissance de la science : tome 1. Mésopotamie, Egypte, tome 2. Grèce présocratique, Gallimard, « Folio Essais », 1991)だけのようだが、フランス語圏では、生命論・科学論・認識論の分野でよく知られた研究者である。私自身は、自分の博士論文の中心概念が「生命」だったので、Histoire de la notion de vie (Gallimard, collection « Tel », 1993) のお世話になった。古代ギリシアからラマルク、ダーウィンまで、重要文献からの千を超える抜粋を含んだ、西欧における生命概念の通史として大変行き届いた九百五十頁を超える浩瀚な労作である。本文そのものも小さな活字で組まれて行間も狭いのだが、抜粋と脚注はさらに小さな活字でぎっしりと詰め込まれており、読む方にとっては甚だ眼に負担の大きいレイアウトではある。
 上掲の本は、昨日届いたばかりで、まだ人名索引を頼りに何箇所か斜め読みしてみたに過ぎないが、それらの箇所からだけでも、この本を読んだ後には、これまでの進化論、特にダーウィニズムを巡る言説について、こちらの認識をすっかり改めなくてはならないだろうと予感された。
 本文だけで五百頁近いこの大著を全部読み終えた時点ではその見解を改めざるを得ないかもしれないとの留保付きでだが、この著者がこの著作で言いたいことを予見的に一言でまとめれば、次のようになるだろうか。
いわゆるダーウィニズム(ピショによれば、それはあまりにもダーウィンその人の思想から離れてしまい、結果として互いに矛盾する主張を繰り返す学派を生み出した)を、人種差別の擬似的な科学的根拠として、或は、キリスト教的世界観の破壊者として、糾弾するのは、〈種〉の起源の問題に関して、まったく的外れであり、そればかりでなく、そのようなダーウィニズムについての通念は、種間に優劣を認める宗教・思想の人類史における根深い起源を見損なわせることになるだろう。
 単に科学史の枠組みの中だけで進化論を扱うのではなく、他の諸分野、特に十九世紀の経済・宗教と科学との相互的な影響関係にまで深く踏み込んだ分析は、広い意味での近代社会思想史の視野の中で、科学がもたらす思想的影響と、逆に科学研究が社会的・宗教的通念によって方向づけられ、場合によっては限界づけられてしまうという、双方向的な問題性を浮き彫りにすることに成功している。
 科学的認識をその成立の歴史的文脈の中に豊富な同時代資料に基づきながら位置づけ直す科学史家としての手法は、著者の最も得意とするところであり、ダーウィンの『種の起源』がその出版とともに当時のイギリス社会に大スキャンダルを巻き起こし、守旧派たちの非科学的な人間中心主義的世界像と闘いながら、人間の自己認識に革命的な変化をもたらしたとする「社会的」通念(それは今日の科学者たちの一部にまで共有されてしまっている!)を、そのほとんどが後日の想像の産物であるとして批判する手際は誠に鮮やかで、かつ充分な説得力を持っている。