今日
は
父
の
誕生日
でも
いま
は
亡き
戌年生まれ
生きていたら
72歳
でも
ずっと
ワタシ
の
中
では
享年
の
47歳
の
まま
家人
が
父
の
没年
と
同じ齢
に
なりました
ワタシ
は
来年
迎えます
こんな
に
若いまま
生涯凍結
したんだよなぁ・・
と
父
を
重ねるように
家人
が
うたた寝
している
様
を
つい
チロリチロリ
眺めてしまいます
が
やはり
父
には
似ていないようです
・・・あたりまえか(笑)
その代わり
父
の
生まれ変わりみたい
に
この世
に
生を受けた
長男
が
時折
父
の
面影
を
重ねさせて
くれるのです
(父の亡くなったひと月後に誕生したのです)
よちよち歩き
の
愛娘
と
連れ立って
歩く姿
を
眺めていたら
ワタシ
も
あんな風に
見守られていたのかな?
なんて
微笑ましく
なるけれど
実際
の
父
は
育児より
自身
の
趣味
に
没頭していた
と
母
や
従姉
から
憎らしいような
愛おしむような
口調
で
のちのち
聴かされたのでした
やっぱり
何より
いちばん
父
に
似てきたのは
ワタシ自身
かもしれないね
しなきゃいけない
最小限
と
したくてたまらない
最大限
を
いつも
何故か
バランス取ろう
と
躍起になっている
カンジ
やれやれ
はいはい
と
云いながら
も
支えられたり
救けられたり
と
何処かしら
幸福な星回り
の
もと
のびのび
活きさせて
もらっているから
時々
山行
で
感じる
の
だけれど
大きな木の下
に
立つ
とき
何故か
足進まぬ
道
に
踏み込むのを
躊躇う
とき
きっと
いま
守られている。
そんな
瞬間
を
察する
コワイ
とか
キモイ
とか
じゃ
片付けられない
有り難い
感覚
亡くなったヒト
は
姿カタチ
が
見えない分
より強い想い
で
大切なモノ
を
守り抜こうとする
そう
いつか
御説法
で
伺った
コト
が
あるから
かな
いよいよ
おとずれる
来年こそ
ワタシ
の
寿命目標。
正直
不安
だけれど
それから
先
は
ワタシ
次第
関わるヒト
次第
の
延命。
だと
想っている
来年
の
誕生日ころ
には
富士山
へ
行けたらいいなぁ
と
ひそかに
想ったりもする
大丈夫!
あなた
は
絶対
長生きするよ!
と
笑い飛ばしてくれる
有り難き
仲間たち
と
共
に