僕は、人間って生きていくうえで
「期待に応えない練習」が
すごく大事な修業の一つだと
思うんですね。
両親の期待に応えたり
両親の期待に応えたり
上司の期待に応えたり
それを100%守り抜いていくと
どこかでどん詰まりになって爆発します。そうすると相手にとっても
自分にとっても困る事態になっちゃう。
期待に応えないというか
人をちょっとだけ失望させる練習って
僕は必要だと思うんです。
〜しいたけ相談室より〜
ワタシ
は
いままで
いくつか
の
役割
を
卒業
したり
引退
したり
してきた
ワタシ
に
限らず
みんな
そうだろう
けれど
それ
は
必然
だったり
不意
に
だったり
ホッとするコト
も
あれば
グッと
堪えなければならないコト
も
あった
其れら
を
イイ想い出
と
して
昇華させる
最善の策
は
〜期待しないコト・させないコト〜
だった
のではないか
と
不意に
見た
しいたけさん
の
コトバ
を
汲んでみて
後悔
と
納得
の
両面歴史
を
振り返り
今更ながら
考えさせられた
期待
とは
一見
過大評価
と
想われがち
だが
実
は
其のヒト
の
無限の底力
を
蔑ろにした
過小評価
なのでは
ないだろうか
其のヒト
の
望むモノ
疎むモノ
其れ
を
其の
感覚
を
其のヒト以上
に
誰が
知り得るはずがない
の
だから
先日
も
大好きな友
と
過去
を
振り返りながら
互い
に
驚いたコト
が
あった
其れ
は
潤滑剤
と
なるべく
役割
と
担っていたモノ
が
真逆だった
のだ
ワタシ
は
して欲しいヒト。
で
カノジョ
は
したいヒト。
なのに
互い
に
望まれている
と
想い込み
すっかり
キレイに
真逆に
読み違えていたのだった
ずいぶん
月日
が
経って
ほとぼり。
も
醒め
確認し合い
笑い合えたから
よかったモノの
其の
何倍もの
掛け違えたボタン
の
シャツ
を
ワタシ
は
きっと
記憶のクローゼット
に
無数
放り込んだまま
な
気
も
する
齢を重ねて
幸い
な
コト
に
出遭い。
も
狭まっていくだろう
ましてや
出逢い。
なんて
片手
で
数えられるくらいかも
しれない
其れ
は
いい
其れ
で
いい
もう
これから
は
舞い上がらず
虚勢も張らず
期待しないでください。
の
プラカード
を
掲げ
行進していこう
と
想う
肩のチカラ
抜けていて
ステキ
ですね
そう
互い
に
微笑み合える
ような
姿勢
の
近しい
人々
と