マイスターのお道具箱

ドイツに住むピアノ技術者、ーまーのブログ

前から3列目に座りながら

2006-11-18 | ピアノ技術者の仕事

 コンサート会場のいつもの席に座る。
前から3列目のど真ん中。本当はもう少し後ろの席で全体的な音楽を楽しみたいのだけれど、館長がぼくのために用意してくれる席はいつもここ。
ピアノの仕上がりをチェックするのにはリアルな音が聞こえてくるのでありがたい場所なのだけれど、テイスティンググラスでワインの粗探しをしているかのようになってしまう。仕事なので仕方ない。
 
今回のコンサート調律の仕事は何か物足りなさがある。歯磨きをせずにベットに潜り込んだときのような、落ち着かない憂鬱さが残る。
ピアニストとのコンタクトを取る機会がなかったのが物足りなさの原因。
事前に入っている情報は今回演奏される曲目とピアニストの名前だけ。
実際にはリハーサルで演奏家の音を聴き、ピアノのタッチや音色のリクエストを聞き出し、本番に向け準備するのだが。
ロシアの横綱級のピアニスト、さて何語でどのように切り出そうかとあれこれ考えていたのに肩透かしを食らった。本番直前まで楽屋にもいなかった。
まあ、全力を尽くした仕事なので不安はないのだけれど、せめて挨拶ぐらいはしたかった。

さて、演奏会が始まった。指揮者と共にピアニストが登場。 
かなり小柄で鷲鼻、同じロシア出身の巨匠アシュケナージにどことなく似ている。 
そういえば学生の頃、1学年下の友人、コミナミ君も鷲鼻で「鼻だけアシュケナージ」という滑稽なニックネームをつけられていたなぁ。
コミナミ君と同じような鼻をしたロシア人ピアニストの手が動き出す。 
チャイコフスキー ピアノ協奏曲、第2番 G-Dur 勉強不足で恥ずかしいが今まで聴いたことがない。
小柄だけれど大きな手。想像通りの徹底的な音。鍵盤やハンマーシャンクのしなりが効いた底鳴りする音。手と腕の重さを利用した指先がしっかりと鍵盤を捉えている感じ。たとえ小さくピアニッシモな音でも透き通る音が出ている。長ーいカデンツをじっくり聞かせてもらった。ピアノの調律はうまくいってると思われる。少し安堵。

2楽章、ヴァイオリンのソロが静かに始まる。以前どこかで聞いたような懐かしい旋律が悲哀を感じさせるように泣きだす。ぞくっと来る瞬間だ。
次にチェロが深いところからその切ない思いを湧き出させ、やがて瞳に溜めた涙が堪えきれずにあふれ出し、ゆっくりとほほを伝って流れだすように丸みを帯びたピアノが絡んでくる。 
ピアノの仕上がり具合をチェックすることはもう完璧に忘れている。

そして3楽章、ここまで来たら何やってもいいよ。思いっきりフィナーレに向かってもらおう。 
調律が狂おうが弦が切れようがどうでもええからとことんやっておくんなはれ!  
やがてピアニストは指揮者とオーケストラを道連れに爆発した。

最後に気になったこと。 それは雑音。
ピアノから出る雑音ではない。 鼾(いびき)だ。
初め観客席で寝ているおじいちゃんでもいるのかなと思ってた。
でもそれは鷲鼻ピアニストの呼吸する音だと判明。 
前から3列目の粗探し? いや結構後ろの席まで聞こえていたと思われる。


ーまー


 へー たまには仕事してるんやねー