お義母さんへ
「マサコさん」 今日からはそう呼ばせてくださいね。
やっぱり実際にお会いしてお別れの言葉を言いたかったなぁ
そんな切ない気持ちを胸に秘めて、仕方なく遠い地球の裏側から
マサコさんをお見送りすることにします。
長い長い闘病生活、さぞ苦しくて辛かったことと察します。
今はただ、楽しい思い出だけを一杯詰め込んで
穏やかに休んでほしいなぁと願っていますので
僕が一番印象に残っているマサコさんとの楽しかったことを書いてみますね。
そう、いわゆる 単なる思い出話しですよ。
それはおかみさんの産前産後のお手伝いにはるばるドイツまで来ていただき、
いよいよ出産!って時の出来事、「サトチン誕生の巻」です。
もうかれこれ25年も前のお話ですね。
「この様子じゃまだまだだから、いったん自宅に戻って一眠りしたら?」
助産婦のおばさんは僕にアドバイスしてくれました。(もちろんドイツ語やで)
「そういえば朝 病院にきてから何も食べてへんなぁ。」
出産予定日をはるかに過ぎても、のーんびりぬくぬくと
母親のお腹から出てくる気配のないサトチン。
そいつをを引きずり出すために、病院の非常階段を下りては昇り、
昇っては下りの繰り返しをしていました。
僕が出産するのではないのだけれど、途中で産まれそうになった時の
緊急連絡係ですかね、妊婦さんの横に付き添って何時間も一緒に上り下りしました。
本格的な陣痛が始まって分娩室に運ばれたけれど、
サトチンはいっこうに出てこようとはしませんでした。
すでに日付は変わり午前2時を過ぎてしまいました。
自宅待機のマサコさんのことも気がかりでしたので車で一時帰宅しました。
真っ暗な深夜、我が家にだけ灯りがともっていました。
その窓際でまるでお百度を踏むかのように右に左にトコトコと歩き回るマサコさんの姿が見えました。
心配で心配でじっとして待ってはいられないそわそわした様子が、
遠目でもはっきりと感じ取れる動きでした。
僕はしばらくその光景をなんだか申し訳ない気持ちで眺めていました。
「まだ産まれへんねん……」とりあえず報告するや否や
「まったく、なにやってんのようちの娘は!」
今までたまっていた不安の塊が一気に化学変化を起こし爆発したような勢いでした。
「おかみさんに怒ってもしゃぁないやん……」
これ以上ひとり自宅で待つことは容易なことではないという
マサコさんの悲惨な訴えを受け、今度は二人で病院に出かけることにしました。
出産に立ち会うことにしていた僕は分娩室に入って行きましたが、
マサコさんはひとり寂しく廊下で待つことになりました。
自宅でのいきさつを助産婦さんに説明すると、マサコさんも分娩室に入り
立会いに参加することを特別に許してくれました。
いよいよ出産との格闘が本格化してきました。
昨日の朝から階段の上り下りを繰り返し、ごはんも食べていませんでしたから
ひときわ大変だったことでしょう。
女の人はすごいなぁと心の底から思ったものです。
ベッドで唸り続ける妊婦の手を両側から僕たち二人で握り、
「ひぃひぃふーー ひぃひぃふーー」3人でリズムをとりながら合唱しました。
「ひぃひぃふーー ひぃひぃふーー」この絶妙なチームワークの甲斐あって
ようやく のんびりサトチンは産声を上げてくれました。
その直後、僕とマサコさんは舞い上がり、興奮状態の感激モードでした。
二人であーでもないこーでもないとサトチンを産湯につけて大騒ぎになりました。
そして一番大変な仕事を終え、息も絶え絶えの哀れな母親は労いを受けることもなく
しばらくは忘れられていたようでした。
出産バトルの次の日、なんだか清々しい気持ちです。
僕は新しい黒いTシャツを着ました。
出産のお手伝いに来てくれたときに マサコさんからの手土産でいただいたものです。
「あっ、やっと着てくれたのね、気に入らなかったのかと思ってたわよ!」
不本意にもなじられた僕。
「ちゃうちゃう、 僕が父親になった記念として 生まれたときに袖を通そうって
いただいた時にそう決めてたんよ。だから今こうやって初めて着たってわけ。」
そうして互いに新米パパと初孫の誕生を祝って乾杯をしたのです。
そのビールが飛びっきり美味かったことを鮮明に覚えています。
そして黒いTシャツ、かなりよれよれしてはいるけれど25年経った今でも健在です。
マサコさんのあの時の笑顔が染み込んだこの黒いTシャツを着て
明日もまた、ぽっこリお腹を絞り出すために
フィットネススタジオへひと汗かきに行くことにします。
マサコさん 素敵な思い出をありがとう! おおきに! ダンケシェーン!
-まー