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「べけんや」書感

2010年10月25日 05時24分52秒 | 落語・講談・お笑い
「べけんや わが師、桂文楽」(柳家小満ん)読了。
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桂文楽(当然、先代)に入門した筆者が、
師匠から聞いたこと、師匠について見たことを描いた本。

正直私は、文楽の落語がそこまで良いのか、よく分からない。
音でしか聞いていないせいもあると思うが、
それぞれの登場人物が何を考えているか、とか、
結局このネタで何をやりたいのか、などがあまり感じ取れない。
不意に張り上げる声を、不自然と感じることも時にあるし。

ただこの本を読むと、
文楽はそんなポイントをさして優先していないのだろう、と感じた。
「えー」が多いのをおはじきを投げて直されたとか、
豆の食べ分けとか、鱈昆布のおつゆの食べ方とか、
有名は話はいろいろある。
そんなの優先順位は低いだろう、と私なんかは思うのだが、
「如何に見せるか」「聞かせるか」を考え、練り、
その結果「磨きぬかれた」「品があって美しい」落語・噺家が作られたのだとしたら、
それはそれで成功なのかも知れない。

色事関連の話、煙草入れの話など、
端的な文章で綴られている。
俳句をやっている、というのが、なるほど、と感じさせられる文体。
若干、途中であちこちに飛ぶ感じがするが、
様々な角度から捉え、トータルで描写しようとしているのだろう。
内容としても、初めて聞く話が多く、興味深かった。

文庫版に「別章」として追加されている内容は、
「大仏餅」の話などは本体と一部重複する感じがしたが、
これはこれで面白い。
「絶句の後、機嫌が良かった」あたりが印象深い。
絶句した後の「出直して参ります」が、
稽古通りに出来てさばさばしたのでは、と筆者は推察していた。
それもあるだろうし、
「形を作り、見せる」ことに心血を注いできた人間が
「もう見せなくて良い」と安心した面もあるのではないか、と感じた。
このあたり、「自分を表現する」志ん生とは違うのだろう、と思う。
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