考えるのが好きだった

徒然でなくても誰だっていろんなことを考える考える考える。だからそれを書きたい。

はじめに

 このブログは、ほり(管理人)が、自分の思考を深めるために設置したブログです。私のものの見方を興味深く思う方は、どうぞお楽しみください。 / 書かれていることは、ほりが思考訓練として書き連ねた仮説が多く、実証的なものでありませんが、読み方によって、けっこう面白いと思います。 / 内容については、事実であっても、時空を変えて表現している場合が多々ありますので、リアルの世界を字面通りに解釈しないでください。何年か前の事実をまるで今起こっているかのように書いたものもあります。 / また、記事をUPしてから何度も推敲することがあります。記事の中には、コメントを戴いて書き換えを避けたものもありますが、どんどん書き換えたものも交ざっています。それで、コメント内容との整合性がないものがあります。 / なお、管理人は、高校生以下の方がこのブログを訪れることを好みません。ご自分自身のリアルの世界を大事にしていただきたいと思っているからです。本でも、学校でも、手触りのあるご自分の学校の先生や友人の方が、はるかに得るものがありますよ。嗅覚や触覚などを含めた身体全体で感じ取る感覚を育ててくれるのはリアルの世界です。リアルの世界で、しっかりと身体全体で感じ取れる感覚や感性を育ててください。

板書で自由英作文

2012年06月22日 | 教育
 授業の課題で、自由英作文があった。どう扱おうかちょっとだけ迷った。飛ばすのは何だし、かといって、全員のを個別に添削してやるのは手間暇掛かって大変、というか、あまりの大人数なので無理である。でも、何らかの形で扱いたい。
 板書で書かせることにした。
 2人を指名して、黒板の半分にそれぞれ書かせた。(そんなに長いものでなかったし。)それを生徒の前で添削することにした。和文英訳の添削は、「模範解答」というものを手にしているので、困ることがないわけではないが、まあ、年の功もあって(そもそも、とびっきり出来る子もいないし)何とかなる。しかし、自由英作文の板書での添削は初めてだと思う。(たぶん。)
 自分自身への挑戦でもあったが、こうしたものの添削そのものは毎年やっているし、生徒の間違い方、落とし穴の落ち方もたいていわかっているから、辞書を引きながらではあっても、100語までなら1時間に5.6枚はけっこうさらさらできる確信がある。もちろん「直しようのない作文」もあるので、そうしたときは、文意はそのままに文章を流れからすべて書き換えてしまって提示する。(これは心に余裕がないとできなかったり、けっこう時間が掛かったりいするが。)とまあ、何だか出来そうな気分になったので、やってみた。

 添削をして直すのは、板書の2名だけである。ほかの生徒の作文を個別に添削するつもりはない。「模範的な作文例」を提示するつもりもない。生徒は、「模範解答」を写して覚えるだけである。それでまとまった内容の作文が書けるようになるわけではない。
 生徒に言ったのは、「どこをどのように直すと良くなるか」という着眼点を見て取れ、ということだ。
 大事なのは、着眼点である。出来ない生徒は、これを間違えるから、あるいは、わかってないから出来ない。だったら、「何が試験に出るかという具体的な対策」ではなく、「どうしたらより良い英文、文章が書けるか」に絞る方が応用力育成になるだろうというものだ。どうしたらより良く書けるか、については、何せ、これだけブログ記事を書いているし(笑)、使う英語は和文英訳と違って、「自分が使える英語」でよいわけだから、まあ、何とかなるだろうということになる。でまた、こうした「着眼点」は一斉指導で私は十分に教えることが出来ると体験的に確信している。

 生徒がどう思ったかはわからないが、私自身はけっこう楽しかった気がする。(って、先生が楽しんでもしようがないけどね。)ほとんど自己満足かもしれないが、長年何枚もの自由英作文の添削をこまめにやってきたからこそできた挑戦だという確信はある。
 また次も、「板書で自由英作文の添削」という、「出たとこ勝負」の、おそらく先生たちがめったにしないであろう授業方法を試みていこうかと思う。