元祖・東京きっぷる堂 (gooブログ版)

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ニトロソアミンと音 ②

2021-06-05 07:59:21 | 夢洪水(散文・詩・等)

ニトロソアミンと音
 


 タバコ。僕が初めて煙草を吸ったのは高校一年の秋、図書館へ通じる板張りの廊下だった。友人と二人で窓際にもたれ雨によって削られていく校庭を眺めていた。あの時も雨が降っていた。校庭は、まるで泥のプールだった。友人は裏ポケットからゴソゴソと煙草を取り出し僕に囁いた。
「ヤニが欲しい。ああヤニが欲しい。お前もやるか?」

 僕らはキョロキョロと、あたりを見回した。廊下は闇に飲み込まれてシンとしていた。あの頃は妙に心の底がシンとなるような時間を感じる事ができた。思春期とは、そういうものなのかもしれない。僕が最初に吸ったのはフィルターの無い「朝日」という煙草だった。
 僕らは窓を背に、しゃがみ込んでイソイソと煙を吸い込み、諸器管を通して再び吐き出した。その反復を続けるうちに僕は少しクラクラしてきた。立ち上がって窓外を見ると雨の向こうの校舎の窓灯りが、やけにリアルに見えた。
 初めて煙草を吸う事と初めてSEXをする事に、さほど違いは無かった。終わった後に多少スッキリとして多少世の中がリアルに見える。そして、多少、情けなくなった。何かが削られた気がした。
 しかしSEXは中毒にはならなかった。


 僕はコーヒーを啜り煙草を吸い、又コーヒーを啜り煙草を吸った。
 初めて会った時、確かに彼女は左手でロングピースを吸っていた。だが今は吸っていなかった。
 曲は「アルビノーニのアダージオ」に変わり誰かが戸を開ける鈴の音がした。

 隣の男も煙草を吸っていた。彼は半分も吸わぬうちに灰皿の底に押し付けた。灰皿には八本の吸い殻があった。どれも先端から3cm程しか吸われていない。
 男の血液型はB型だろう。おかしな事に僕の知る限り、フィルター付近まで、きっちりと吸うB型の男はいない。

 僕の灰皿には、ちゃんとフィルターの直前まで吸い尽くされた煙草が山になっていた。まるでジェノサイドだ。
 曲が消えた。次にレコード盤に針の落ちるプチという音。

 六年前、僕はアルバイト先で彼女と知り合った。初夏だった。

 仕事は、すでに使われなくなった証券を穿孔し無効にする事だった。彼女は名義人ごとに、細かい証券を千株単位にまとめ直す事だった。
 どうという事は無い。窓の外では涼しい風が緑をさざめかせ、夏の気配が車道脇の墓地や誰もいない枯れ草の茂った公園に静かな音をたてていた。

 昼休みに僕と彼女は紺色の制服でごった返す食堂の窓際に座り話した。彼女は大学の友人や教授の失敗談を繰り返した。僕は相槌を打ち、そして、よく海と星の話をした。
 それは海底に眠る失われた古代文明であり、ブラックホールやサイバネティックス宇宙であり、とにかく目に見えない事柄だった。彼女は「ふーん」、「そう」、「おもしろいわ」伝々…と、ぼんやりと返事をし、指でテーブルに、おかしな模様を描いた。無限記号のバリエーションだった。

 彼女は、とても痩せていて大きな目をしていた。そして僕が、その目をじっと覗き込むと左の肩を下げ、ほんのりと顔を上気させ左手を口の端に持っていった。

 とにかく僕たちは次の年の春、彼女が卒業するまでの九ヶ月間、京王線沿線の六畳間のアパートで暮らした。
 彼女は彼女なりの生き方をし僕も、そうした。世界は唯、動いていた。
 僕らの回りに変わるものは無かった。僕には、そう思えた。

 朝、僕らは「イパネマの娘」を聞きながら牛乳を飲んだ。昼近くになると僕らは、それぞれの場所に外出し、それぞれの用を済まし帰ってきた。僕が帰ると大抵、彼女は夕闇の中でポツンと座っていた。

 一度、カラッポの部屋の中で彼女は一枚の写真を手に啜り泣いていた。それに、どんな意味があったのか僕は知らない。
 僕は唯、窓辺によりかかり夜が落ちるのを煙草をくゆらせ見続けた。彼女の、その姿は僕が見た中で一番美しかった。消えてしまう虹のように。

 そして彼女は、ある日、本当に消えてしまった。部屋は、またたく間に埃だらけになり、今度は彼女の代わりに僕がポツンと埃の中にうつむいていた。
 彼女が残していったのは期限切れの定期券とボリス・ヴィアンの「うたかたの日々」、そして扇風機と三枚の便箋だった。便箋には、こう書いてあった。
(この一年間で私は変わってしまいました。でも変わらないものもあります。私には故郷に好きな人がいます……伝々)

 そういう事だった。彼女は唯、卒業し故郷に帰ったのだ。彼女の中で何が変わり何が変わらなかったのか、何が嘘で何が真実か、僕には分からなかった。

 とにかく、それから五年の歳月が流れ全てが変わってしまった。



夏が来て僕は病気になり自宅に帰った

 冬になると僕は暖解期に入り再び大学に通い始めた。
 ちょうど、その頃からだ。徐々に全てが崩れ、違うものへと変化しはじめたのは。
 ジョン・レノンが撃ち殺され、一秒毎に全てが幻になった。僕は廃墟を好むようになり、朽ちた家や公園でラジオを聞いた。ラジオからは、ひっきりなしに「クリスマス・ソング」や「ギブ・ピース・ア・チャンス」が流れてきた。これが80年代の始まりだったのだ。

 店内は、やけにシンとなった。気づくと話している者が誰もいなかった。男は全員、煙草をふかし、うつむいて何かをしていた。女は退屈そうに雨の街を眺めていた。

「煙草ばかり吸ってるのね」
 彼女が言うと張り詰めた静寂が弾け、客の視線が一瞬、僕らに集中した。そして、いっせいにあちこちで音が起きた。椅子の軋み。息づかい。レジの音。咳。声。そして音楽。
「遺伝だよ」

 父は実によく煙草を吸っていた。僕の知る限り四十八歳で止めるまで毎日、四箱は吸い続けていた。
 僕が大学に入った頃、父は肺癌を宣告された。しかし相変わらず十分単位で次々と、その毒性の煙を患部に送り込んでいた。ただ父は「ルナ」から「マイルド・セブン」に変えた。
 父は淡々とアイソトープ療法を続け、二年後に肺癌は誤診であり、影は肺結核によるもの再診断された。そして父の中で何かの方向が変わったのだ。父はいっさい、煙草を吸わなくなった。父は自主的に入院し、そして退院した。

 父は家に戻り毎日、山ほどの薬を身体中に放り込み、規則的な運動を驚くべき執拗さで続けた。僕が大学五年になった頃には、父は見違えるほど、元気に明るくなった。これは本当に努力の成果だった。

 ある晴れた朝、父は脳溢血で倒れた。そして、その夜、僕の目の前で父は死んだ。葬儀屋が、すぐに飛んできて僕らは父の死体を黒いバンに運んだ。
 その時、看護婦が僕の耳元でささやいた。
(死体が硬直しているので両手を胸元に紐で結びつけておきました。あとで紐を切って下さい)と……。

 家に着くと葬儀屋は葬式のメニューを差し出した。Aコース、Bコース、Cコース、そして特にどうという事無く全てが終わり、人々が洪水のように押し寄せ帰っていった。イナゴの襲来と、さほど違わない。家は荒れ果て八畳間にポツンと父の死体があった。
 死体が焼かれ骨となり墓石の下に埋められた後、僕は思い出した。僕は紐を切り、手を開放してやるのを忘れていた。
 確かに死体の両手は最後まで紐で堅く結ばれていた。

 僕は父の最後の言葉を覚えている。倒れる前夜、父は、とても元気で楽しげだった。何故かは知らない。僕はTV映画を見ている父を残して、おやすみと言った。
 そして父は僕に、こう言ったのだ。
「ジャン・ギャバンは世界一かっこいいなぁ」

 僕はジャン・ギャバンの映画を、ひとつだけ見ていた。「ヘッド・ライト」。その中の彼は、ひどく惨めで、かっこ悪かった。

 店には、うんざりする程、煙が立ちこもった。

 彼女は何か話したい事があるようだった。しきりに右手で鼻の近くを、いじくっていた。僕は自分の五年間にも彼女の五年間にも、すでに興味を失っていた。僕が今、望むのは誰かがドアを開け、このいまいましい煙を外気に引きづり出してくれる事だった。
 僕は再び煙草に火をつけ、彼女は左手でテーブルに絵を描いていた。会話は、すぐに途切れ僕は音を探した。

 僕は父が死ぬ八ヶ月前に煙草を止めた。暑い夏だった。僕は一人で、あちこちを旅した。僕は静かな森の中を歩き、夏は、はちきれそうに、そこいら中に溢れかえっていた。

 夜叉が池に向かう途中、無人の村があった。道と村を結ぶ唯一の橋は枯れた川の中に真ん中でポッキリと折れ、藁葺きの家々は、かつてはあった「生命の記憶」を風雨に全て削りとられ、完全な廃墟と化していた。

 風化だ。僕は雑草の茂る枯れた川を渡り屋根の半分崩れ落ちた失われた家に入り、夜を過ごした。静まり返った森に囲まれ、その夜は、いたる所で奇妙な音がした。僕は屋根にポッカリ開いた穴から夜空を見た。

 僕は、一晩中そうやってUFOを探していたが、ついにやって来なかった。精霊もなりを潜めていた。

 その頃、東京では友人たちが紺色のスーツを着て、いたる所を走り回っていた。皆、就職戦線の魔力に踊らされていたのだ。

 そして彼らは着々と内定をとり、次の年には、それなりの就職先に落ち着いた。
 僕は、その廃村に三日間いた。そして三日目、そこを後にし林道を登っていくと凄まじい蝉たちの大音響に包まれた。
 僕の右耳は、それから、おかしくなった。電気ドリルで金属板を削る音が続き、旅の終わる頃にはボーッという低い汽笛の音に変わった。

 僕は、あちこちの病院で検査を受けた。しかし、どこでも結果は同じだった。…異常なし。

 そして耳鳴りは一時も止むことは無かった。そして、まだ煙草を止めていた。気が狂いそうだと思った。

 耳鳴りが始まってから僕の回りで人が死にだした。

 秋までに二人の友人が死んだ。一人は山中湖でボートから転落し、そのまま浮かんでこなかった。もう一人は白血病だった。一人は新聞記事に掲載され、一人は友人たちの間を伝言ゲーム的に駆け抜けた。僕は白血病だと最初、聞いたが、他の奴は殺されたと言った。

 冬が来て年が明けると祖父が死んだ。胃癌だった。
 死ぬ二日前に見舞いに行くと、祖父は自慢げに、そのひどく乾燥し骨と区別のつかなくなった病身を僕に、さらけだして笑っていた。
 その後、祖父は病床から死に物狂いで這い出し、床屋に行って実に綺麗さっぱりと頭髪を整えてから死んだ。死に顔はジャン・ギャバンに似ていた。

 春になると今度は父が死んだ。僕は、まだ煙草を止めていた。

 父が死んでから一ヶ月後、すでに働き始めた友人たちと、ハシゴ酒をした。彼らは髪を短くし同じ様な背広を着ていて、やけに陽気で活気にあふれていた。彼らは次から次へと煙草を吸い、次から次へと仕事の話をした。

 僕は長髪で汚いジーンズをはき、煙草も吸わず唯、隅でホールズをなめながら携帯用ステレオカセットプレイヤーで[DEVO]を聴いていた。[DEVO]の音楽は実に良かった。やるせない疾走感があった。
 退行的なロックを聴いている時だけ、僕は救われるようだった。[DAF][PIL]「ジョイ・ディヴィジョン」「モノクローム・セット」「フライング・リザーズ」「キャバレー・ボルテール」、、、。僕には友人たちと共に話せる様な事は何も無かった。彼らはアイドル・ソングや歌謡曲しか聴かない。

 彼らは口々に、「さて明日も仕事だ」と叫び合い、僕と別れていった。そして僕は新宿に一人残り、人々の間をふらふらと歩いた。
 僕は昔、よく行ったディスコに入り少女にひっかけられた。高校一年生くらいだろうと思った。その娘は、とても色が白く、ほっそりとしていて触れるとすぐにも崩れそうな感じがした。
 黄色いギャザーのスカートに薄い緑に白いストライプの入った麻のシャツ。ミルクみたいな顔をしていた。僕は、なついてくる、その娘に不思議な神聖さを感じた。清廉、自由、喜び、世界をリアルに感じる力。

 それから、その娘と僕はホテルへ行きSEXした。その娘は、とてもSEXを楽しんでいた。
 そしてロックについて僕と論じ合った。彼女は「ポリス」「カルチャークラブ」の素晴らしさを延々と説明してくれた。僕は悪くないと言いながら、スティングボーイ・ジョージは男芸者の最も手に負えないケースだと、彼女に対する奇妙でちっぽけな嫉妬心にかられて断定した。
 さらに僕はゲーリー・ニューマンの方がずっと可愛げがあると断定した。すると彼女はこういった。

「あなたみたいに全然味が無いわ」

 僕は再び煙草を吸い始めた。量は日一日と増えていき、一日二箱は吸うようになった。

 そして僕の回りで人は死ななくなり、耳鳴りは依然として止まなかった。



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