真面子の社会観察日記

社会で起きている様々なできごとを真面目に言いたい放題!

なんちゃって教授

2015年05月16日 | Weblog
この世の中には『先生」と呼ばれる職業がたくさんある。ちょっと驚く「先生」は政治家先生。地方議員を『先生」と互いに呼び合っているかどうかは知らないが、少なくとも国会議員はお互いに『○○先生」と呼び合っている。

さて、最近、『なんちゃって教授」が多いと思う。一番良い例が、国会議員の先生が選挙に落選すると、次の選挙戦までいつの間にか何処かの大学教授におさまっていて、また当選すると政治家先生になること。

さらに、所謂、キャリア組みと言われている各省庁の高級官僚だったヒトが大学の教授として大学へ天下ってくること。この元キャリア組みは大体5年契約で教授として授業を持つのだが、片道切符しか持っていないので、彼らを定年迄大学にい続けるのだ。

聞く所によると、この官僚の給与は元所属の官庁から支払われているので、こういヒトを教授に迎えるのは大学としては大歓迎なのだろう。

文科省は実務敬虔のある人たちが大学で教鞭をとることを推進している。社会にすぐに役に立たない授業ではなくて、社会、企業が必要としている能力をつけるべきだという意見も充分理解できる。

大学は教養教育と専門教育を通じて、その学生の生き方や価値観を将来にわたって決定づける要因になる教育をする場でもある。

教養教育も専門教育も共に重要で、研究職一本できた教授の授業もま実務経験のある教授の授業の両方を受けることが今は大切なんだと思う。でも重要なのは教授陣の質の問題だ。

論文を書いたこともなく、学会で発表したこともなく、何かを専門に学問的に研究したことも無いヒトが大学で『教授」として授業を続けることは出来るとは思えない。学問的、理論的な知識に基づき、さらに具体例としてのご自身の経験を交えて授業が出来れば、学生たちは興味を持つと思う。

最悪の教授は、元会社の仲間や友人達をゲストスピーカーとして呼んで来る授業だ。これはあくまでも授業ではなくてそのヒトの「経験話」なのだ。

気の毒なのは、学生たちで、半年間授業を受けても何を学んだか分からないという。でも単位は簡単に出るから、つまらないけど授業を履修するのだそうだ。




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