多聞六神社
(たもんろくじんじゃ)
神戸市垂水区多聞台2-17-5
〔御祭神〕
伊弉諾命(いざなぎのみこと) 伊弉冉命(いざなみのみこと)
大日霊命(おおひるめのみこと) 素盞鳴命(すさのおのみこと)
月読命(つくよみのみこと) 蛭子命(えびすのみこと)
※1904(明治37)年合祀
大山咋命(おおやまくいのかみ) 天鈿女命(あまのうずめのみこと)
社伝では863(貞観5)年創建とされていますが、すぐ南西にあって平安時代前期の861年(貞観3)年に慈覚大師によって開かれたといわれている多聞寺の記録では、この年に創建されたのは多聞寺の鎮守社として大山咋神を祀っていた日吉神社のことであって、多聞六神社とは関係ないということが書かれています。舞子六神社のところでも書きましたが、御祭神が明石の岩屋神社とまったく同じであることから、舞子六神社と同じく岩屋神社からの勧請によって江戸時代に創建された神社だと考えられます。多聞六神社は、少なくとも1777(安永6)年には鎮座していたとみられ、境内には1851(嘉永4)年の銘の入った狛犬や、1856(安政3)年奉納の石灯籠も奉納されていました。
川に面して立つ石鳥居(左)と、81段ある石段(右)。
明治政府による神道の国教化によって、各地の神社は「延喜式」を参考に官幣・国幣大社・中社・小社などにランク付けされました。多聞六神社は、1874(明治7)年に入って官国幣社や別格官幣社の次の社格の「諸社」の中の村社に列せられました。多聞村の総鎮守社として人々の厚い崇敬を集めていましたが、1890(明治23)年には社殿を焼失してしまいます。しかし、氏子の皆さんの尽力によってすぐに再建工事が始められ、1897(明治30)年5月には遷宮祭が行われました。1904(明治37)年には同じ多聞村に鎮座していて多聞寺の鎮守社といわれていた日吉神社が合祀されています。
1984(昭和59)年再建の社殿。震災では壁面にひびが入り、狛犬も倒壊しました。
1984(昭和59)年9月には老朽化した社殿の建て替えが行われましたが、1995(平成7)年1月17日に発生した阪神・淡路大震災によって社殿壁面にひびが入り、石灯籠や狛犬、鳥居なども倒壊するなど大きな被害を受けました。まだまだ混乱が続いていたにも関わらず、その年の4月には早速「多聞六神社復興委員会」が結成され、翌1996(平成8)年には全壊した社務所が再建されるなど、境内の整備が完了しました。震災の悲劇と亡くなった方々の鎮魂、それを乗り越えた地域の人々の絆を後世に伝えるために、社務所奥の境内西端には震災復興記念碑も建てられています。
氏子の皆さんが守り続けた多聞六神社の境内では、7月の第4日曜日には夏祭が行われ、10月10日には秋季例大祭が行われています。秋季例大祭では、古来より受け継がれてきた獅子舞神事が現在も催され、子ども神輿と合わせて五穀豊穣・子孫繁栄・村内安全を祈願する神事で賑わいを見せています。
社殿の東隣に立つ摂社(左)と、境内の西端に建てられている震災復興記念碑(右)。
アクセス
・JR舞子駅下車、神戸市バス50系統「本多聞2丁目バス停」下車、西へ徒歩5分
・JR舞子駅下車、神戸市バス54系統「多聞寺前バス停」下車、北東へ徒歩5分
多聞六神社地図 Copyright (C) 2000-2008 ZENRIN DataCom CO.,LTD. All Rights Reserved.
拝観料
・境内無料
拝観時間
・常時開放
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いろんな建築物があるもんだね~
大体1つの神社に神様が沢山祭ってあるけどけんかしないのかな~と疑問におもってます?
そして伊弉諾命から生まれたのが大日霊命・月読命・素盞鳴命の兄弟という血縁(?)関係の神さまを祀っているので、親子ゲンカぐらいはするかもしれませんが、仲良く同居されていると思います
そして、交わりの儀式の前に「2人でこの聖なる柱を回り、出会ったところで国産みの交わりをしよう」ということで、それぞれが逆方向に廻っていきました。
出会ったとき、妻のほうが先に「ああ、素敵な男性ですね」と褒め、その後に夫が「おお、美しい女性だなぁ」と褒めて交わったために不具の子・蛭子命が生まれました。
悩んだ2人は高天原にあがって天神に相談したところ、「妻のほうが先に褒めたのが悪かった」という神託が出たので、改めて儀式をやり直したそうです。
古事記の「イザナミとイザナギの聖なる結婚」の章に書いてありました。
よく調べてくれました。
ありがとう。このブログ見てると歴史と古文は勉強になるわ