大日女尊神社
(おおひるめのみことじんじゃ)
神戸市東灘区西岡本4-8-6
阪急電車の高架沿いにあります。
〔御祭神〕
大日女尊
(おおひるめのみこと)
素盞鳴命
(すさのおのみこと)
住吉川を北に上がり、山手幹線を越えた東側にある地域が西岡本です。以前は野寄村・本山村野寄などと呼ばれたところで、今でも地元の方々はこの地域のことを「野寄」と呼んでいます。品のある閑静な住宅街で、一度は住んでみたいと思わせる品格を感じる町です。
大日女尊神社の拝殿。
この神社に関する記述で最も古いものとされるのが、1692(元禄5)年の『寺社帳』です。それによると、もともと野寄には神社がなく、古くから大日如来を本尊とする大日堂がありました。明治時代に入って神仏分離令が出た際、「野寄に神社を」ということで大日堂のご本尊を村内の寺院に移し、残った大日堂を社殿として新たに宝刀をご神体に神社を設けました。これが大日女尊神社です。
北側から見た境内。白い建物が本山西(旧・野寄)地域福祉センターです。
日本では、古くから神道と仏教の融合が行われてきました。奈良時代になると、仏と神は同一のもので、本地である仏様が我が国の衆生を救済するために神々の姿となって現れたのだという本地垂迹説が唱えられるようになります。また、平安末期には本地垂迹説の流れを受けて理論的に神道を説明する教えがあらわれ、真言密教系の両部神道では、金剛界・胎蔵界の曼荼羅の大日如来尊=伊勢神宮の内宮・外宮の祭神(天照大御神・豊受大御神)という説が唱えられたりしました。
しかし、明治維新がこの流れを大きく変えます。復古神道を政治理念に国家の運営を図った明治政府によって神仏分離令が出され、神社域からの仏教的要素の排除が推進されました。その結果、全国で廃仏毀釈運動が起こり、貴重な仏像や建造物が次々と破壊されていくこととなります。このような時代背景を受け、廃仏毀釈の流れから村のご本尊である大日如来を守り、さらに村としても神社を建てることで政府の方針に従っていこうという姿勢が大日女尊神社を生んだのではないでしょうか。
水神宮の石碑。鳥居のすぐ脇にあります。
住吉川には、その急流を利用して古くから油絞りや精米などのための水車が立ち並んでいました。全盛期にはその数は80にも達し、そこに設置された臼の数は10,000、従業員も1,000人を越えたそうです。その水車業者の厚い信仰を集めていたのが水神宮です。元禄時代には境内に水神宮のお社があったそうですが、残念ながら社殿は朽廃。現在はその跡に「水神宮」の石碑が建てられています。
新調なった野寄のだんじり。地域色豊かな彫刻が特徴です。
アクセス
・神戸市バス・33系統「西岡本4」下車、徒歩2分
・阪急電車「岡本駅」下車、高架北側沿いに西へ徒歩15分
拝観料
・無料
拝観時間
・常時開放
西岡本のホームページをご紹介します
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