兵庫県姫路護国神社
(ひめじごこくじんじゃ)
兵庫県姫路市本町118
姫路城を背に鎮座する姫路護国神社。
〔御祭神〕
兵庫県西部地域出身の戦没者56,988柱
毎年8月のこの時期になると、「ヒロシマ」「ナガサキ」そして「終戦記念日」と、わが国最大の不幸であり試練であった太平洋戦争・第2次世界大戦・大東亜戦争、立場・信条によって呼び名は異なりますが、先の大戦で起こった悲劇をしっかりと心に刻む季節がやってきました。そんな中、訪れたのが兵庫県姫路護国神社です。
姫路護国神社の拝殿。
JR姫路駅に着くと、中央出口から真っ直ぐ伸びる大手前通。その先には国宝であり、世界遺産でもある姫路城が優雅な姿でわたしたちを迎えてくれます。その城域の南側に接するように、兵庫県姫路護国神社が鎮座しています。1938(昭和13)年に創建されたこの神社には、明治維新時の戊辰戦争以来、国難に殉じた兵庫県西部地域(播州・但馬など)出身の戦没者56,988柱が祀られています。
境内に入って左手にある手水舎。
明治時代に各地に設立された招魂社。これが1939(昭和14)年の内務省令に基づいていっせいに改称されたのが護国神社です。護国神社には、その県出身の戦死者・自衛隊殉職者などが、日本の国のために殉じた英霊として祀られています。
姫路でも1893(明治26)年より官民合同で招魂祭が執り行われてきましたが、兵庫県知事が会長となって兵庫県招魂社造営奉賛会が組織され、正式に社殿を創建して招魂社を設けることとなりました。1936(昭和11)年には現在の場所に鎮座地が決定され、1938(昭和13)年4月に竣工しました。前述の通り、1939(昭和14)年に内務省令に基づいて「護国神社」と改称されました。
「比島散華」碑。姫路第10師団揮下の鉄5454部隊に
所属しフィリピンで戦死した兵士の御霊を祀る慰霊碑
終戦後のGHQ占領下では、軍国主義関連の施設とみなされて神社自体が廃止される危険性が高まったため姫路城の別名「白鷺城」にちなんで「白鷺宮」と改称していましたが、サンフランシスコ平和条約を締結し、独立国家として日本が新しい歩みを始めたのちの1954(昭和29)年には元の名前に戻して現在に至ります。
「比島散華碑」左手にある「散華鎮魂の鐘」。
このような慰霊モニュメントが境内には多数あります。
護国神社などを訪れることで、「今まで『日本のために』と戦って貴重な命を散らした大先輩たちのおかげで私たちは現在の豊かな生活を謳歌できている」ということに改めて感謝の念を持つこと。そして、「愛する家族と別れて戦地へ赴きながらも、未来の日本がより良い国になって残された家族が幸せに暮らせる日が来ることを信じ若い命を散らした思い」を受けとめ、2度とこのような悲劇を繰り返さないという決意を新たにすることが大事なのではないでしょうか。
護国神社を敬い訪れること=戦争礼賛と考えることは、あまりにも短絡的で疑問を感じます。
アクセス
・JR「姫路駅」下車、北へ徒歩10分
・山陽電車「山陽姫路駅」下車、北へ徒歩10分
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拝観料
・無料
拝観時間
・7時~17時