神戸の空の下で。~街角の歴史発見~

足かけ8年、150万PV突破。「近畿の史跡めぐり」のサブタイトルも、範囲が広がったために少し変更しました。

姫路・松原八幡神社。

2006年10月17日 | □兵庫県 -姫路
厄除・家運隆昌・交通安全

松原八幡神社

(まつばらはちまんじんじゃ)
兵庫県姫路市白浜町甲396



「灘のけんか祭り」で全国的に有名な松原八幡神社の大鳥居。


〔御祭神〕
品陀和気命
(ほんだわけのみこと=応神天皇)
息長足姫命
(おきながたらしひめのみこと=神功皇后)
比大神
(ひめのおおかみ)



 18世紀、播磨国印南郡平津村(いまの加古川市)在住の医者だった平野庸修によってまとめられた史書「地誌播磨鑑」や、南北朝時代に著されたといわれる「峯相記」には、「灘のけんか祭り」で全国的に名高い松原八幡神社の御由緒に関する記述が残されています。これらや「播磨国風土記」は、播磨地方の歴史を研究する上で欠かせない代表的な史料で、3つを総称して「播磨三史書」と呼んでいます。



 
寺院風の楼門。1679年に建てられたもので、
姫路市の指定文化財となっています。



 この史書には、次のように記述されています。763(天平宝字7)年4月11日、豊前国宇佐の地から東に向けて一筋の白雲がたなびき、それと時を同じくして播磨国白浜沖の海中に、毎晩光り輝くものが現れます。これを不思議に思った播磨国の国司が地元・妻鹿の漁師である倶釣(久津理)に命じて海中を探らせたところ、「宇佐第二垂迹八幡大菩薩」と銘の入った紫檀の霊木が魚網にかかって引き揚げられました。

 驚いた国司が、さっそくこの霊木を妻鹿川下流にある大岩の上に安置して丁寧にお祀りしたところ、村は疫病などの災厄から守られたといいます。この出来事はやがて朝廷の知るところとなり、この霊木は妻鹿の北山・今の御旅山に造営した仮殿に遷され、人々の厚い崇敬を集めることになりました。




1924(大正13)年建立の社殿。1995(平成7)年に全面改修されました。



 その後、霊夢にて「吾が永遠に鎮座したいと欲する場所は、今は海中にあれど一夜のうちに白浜と化し、粟が生じるよう数千本の松を生えさせるので、其の場所に宮を建てて祀って欲しい」という神託を受けた国司は、その言葉に従ってここ白浜の地に豊前国・宇佐八幡宮に倣った立派な社殿を建立して遷座したと伝えられています。実際のところ、松原八幡神社の本格的な造営は、伏見天皇より社領を賜ったのちの14世紀末・明徳年間(1390~1394)の頃に行われたと見られています。




右から絵馬伝・住吉社・神楽殿。社殿右に並んでいます。



 松原八幡神社は播磨国の守護大名・赤松氏の庇護を受けて発展を続けます。15世紀には隣接する松原山八正寺に多数の僧兵を抱え、赤松氏と持ちつ持たれつの関係を築き、対立する山名氏との戦いでも常に赤松氏側を助勢していた松原八幡神社は、応仁の乱の際には山名氏の報復に遭い、焼き討ちされて全焼してしまいます。

 壊滅的な打撃を受けた松原八幡神社ですが、1558(永禄元)年には赤松政則公によって立派に再建されました。このとき竣工祭に米200俵が寄進されたことを喜んだ氏子たちが、米俵を担いで御旅山山頂まで練り歩いたことから「灘のけんか祭り」の原型が生まれたとされています。




左手にも摂社がずらりと並んでいます。



 戦国時代末期の1573(天正元)年には、播磨へ勢力を伸ばしつつあった織田信長軍の羽柴秀吉勢と毛利方の武将・別所長治勢の戦いに巻き込まれ、またも兵火に遭います。双方から援軍の要請を受けた松原八幡神社では、なかなか意見がまとまらず曖昧な態度を取り続けていました。これに業を煮やした別所長治勢は、神社を取り囲んで一斉に火を放ちました。こうして松原八幡神社は再び全焼の憂き目に遭います。

 しばらくたった1584(天正12)年、松原八幡宮の社僧・霊山坊快祐によってようやく復興を果たした松原八幡神社ですが、羽柴秀吉公による播磨国平定のとき、城南の芝原地区(現在の姫路市豊沢町あたり)に遷すよう命じられます。このとき白浜の地と神社の由緒を説いて羽柴秀吉公を説得したのが名軍師と謳われた黒田官兵衛孝高公だといわれています。羽柴秀吉公の狙いは強大になった寺社勢力を削ぐことにあったのかもしれませんが、古来からの伝統的な流れを断ち切ることで人心を失う愚を犯させないようにとの思いがあったのでしょう。

 「宗教勢力の抑制」「伝統尊重」を天秤にかけた結論が、社領の大幅な削減でした。伏見天皇から社領を拝領して以来の「千石千貫」といわれた広大な社領は、わずか60石に減らされて往時の勢力は失われましたが、伝来のこの土地で松原八幡神社は存続することができました。もしこの時移転されてしまっていたら、現在の勇壮な「灘のけんか祭り」は存在していなかったかもしれません。黒田官兵衛公はまさに、祭りの救い主と言えるでしょう。




「八幡大菩薩」の銘の入った霊木を引き上げた、
倶釣を祀るお社も境内に建てられています。


アクセス
・山陽電車「白浜の宮駅」下車、南へ徒歩2分
 松原八幡神社地図 Copyright (C) 2000-2006 ZENRIN DataCom CO.,LTD. All Rights Reserved.

拝観料
・無料

拝観時間
・常時開放

播磨の祭り
藤木 明子,北村 泰生
神戸新聞出版センター

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