神戸の空の下で。~街角の歴史発見~

足かけ8年、150万PV突破。「近畿の史跡めぐり」のサブタイトルも、範囲が広がったために少し変更しました。

神戸・摩耶山天上寺。

2008年10月30日 | ■神戸市灘区



摩耶山 忉利天上寺

神戸市灘区六甲山町2-12


KOBE七福神・布袋尊
新西国三十三ヶ所霊場・第22番札所
関西花の寺二十五霊場・第10番札所
ほか





〔宗 派〕
高野山真言宗

〔御本尊〕
十一面観世音菩薩像
(じゅういちめんかんぜおんぼさつぞう)



 須磨寺長田神社湊川神社生田神社と、街なかを中心に点在する「KOBE七福神」も、再度山大龍寺あたりからだんだん神戸の山手のほうにさしかかってきます。七福神のうちの布袋尊を祀る摩耶山天上寺も、その名の通り摩耶山の上にある寺院で、1400年近い歴史を誇る由緒ある真言宗の古刹です。





石段の脇にある摩耶夫人像(左)と、美しい眺望を誇る「天空の大舞台」(右)



 自動車で天上寺を目指す方は、六甲山牧場を目標にしながら行かれると良いと思います。公共交通機関を利用される方は、JR六甲道駅阪急六甲駅から出ている神戸市バス18系統に乗って「摩耶ケーブル下」バス停で下車。そこから摩耶ケーブル摩耶ロープウェイを乗り継いで「星の駅」から10分ほど歩くと天上寺に辿り着きます。ここは十一面観音菩薩のご利益である「開運」や「五穀豊穣」、そして摩耶夫人尊のご利益である「安産」と「子授け」の寺院として、古来より山麓一帯の住民から厚く信奉されてきた寺院です。ちなみに、全国に数多く見られる安産の腹帯は、ここ摩耶山天上寺が発祥だといわれています。





御本尊が安置されている金堂(左)とその南に立つ「一願地蔵尊」(右)。



 言い伝えによると、日本を訪れて難波(大阪)の地で布教を続けていたインドの高僧・法道仙人が西北方に瑞雲がたなびく様を見て瑞縁を感じ、導かれるように六甲山のこの地を訪れて仏法有縁の聖地であるとの確信に至ります。そこで、孝徳天皇より詔勅を賜り、純金の根本秘仏である十一面観世音菩薩像を御本尊として、この地に草庵を結んだのが天上寺の起こりだとされています。これが「大化の改新」の翌年、646(大化2)年の事でした。その後、奈良時代かけて勢力を拡げた天上寺は、僧坊300を越える規模を誇る大寺院へと発展を遂げますが、残念ながら落雷による大火事によって境内は焼失。寺勢も往時の栄華を窺うすべもなく衰退していきました。
 その後、密教の第7祖である唐・長安の青龍寺恵果和尚から伝法阿闍梨位の灌頂を受け、真言密教の奥義を極めて帰国した弘法大師空海が、持ち帰ってきた武帝自らが作られたという香木造の摩耶夫人像天上寺にお祀りし、806(大同8)年に荒廃していた天上寺を中興しました。それ以降、この摩耶夫人像の故事にちなんでこの山を「摩耶山」と呼ぶようになりました。お釈迦様の生母・摩耶夫人が大往生を遂げられた場所が忉利天という地名だったことから、この寺院は「忉利天上寺」という名で呼ばれるようになりました。





境内南側に立つ法道仙人像(左)と弘法大師活眼石(右)。



 天上寺は、残念なことに1984(昭和59)年に不慮の失火(賽銭泥棒の失火が原因)によって仁王門や一部の塔頭を除き境内の大部分が焼失してしまいました。しかし信徒・有志の皆さんの尽力によって、翌年の5月には元々建てられていた場所から1kmほど北側の地に金堂が再建され、1989(平成元)年には鐘楼や摩耶夫人像が再建されました。さらに2005(平成17)年8月には「天空の大舞台」と名付けられた展望台が完成して現在の威容が整いました。この展望台からは、晴れた日なら淡路島や小豆島までもが一望出来ます。都会の喧騒を離れ、のんびりとここからの素晴らしい眺望を楽しむのも良いのではないでしょうか。ちなみに、焼失してしまった天上寺跡はロープウェー駅側へ南に少し下ったところにあり、「摩耶山歴史公園」として神戸市による整備が行われています。





金堂の北隣にある「摩耶夫人堂」(左)と金輪堂(右)。


アクセス
・JR「六甲道駅」、阪急電車「阪急六甲駅」から神戸市バス18系統「摩耶ケーブル下」下車。
 摩耶ケーブルと摩耶ロープウェー(まやビューライン夢散歩)を乗り継ぎ、「星の駅」から北へ徒歩約10分。

摩耶山忉利天上寺地図 Copyright:(C) 2011 NTT Resonant Inc. All Rights Reserved.


拝観料
・無料

拝観時間
・8時~17時

公式サイト
  摩耶山天上寺公式ホームページ



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。