神戸の空の下で。~街角の歴史発見~

足かけ8年、150万PV突破。「近畿の史跡めぐり」のサブタイトルも、範囲が広がったために少し変更しました。

京都・六道珍皇寺。

2010年01月22日 | ◇京都府 -洛東


大椿山 六道珍皇寺

(たいちんざん ろくどうちんのうじ)
京都市東山区大和大路通四条下ル4丁目小松町595


通 称
六道さん
愛宕寺




華やかな祇園にほど近い地に立つ六道珍皇寺。冥界への入り口といわれた寺院です。



〔宗派〕
臨済宗建仁寺派

〔御本尊〕
薬師如来像
(やくしにょらいぞう)


 京都を代表する花街・祇園から南に5分ほど歩いた所には、その華やかさとは好対照に現世と冥界の分岐点とされた「六道の辻」と呼ばれる場所があります。昔、東山の阿弥陀ヶ峰一帯は「鳥辺野」と呼ばれた葬送地が広がっており、洛中から鳥辺野へと死者を運んでゆく道が徐々に上り坂へと差し掛かるのがこの辺りだったそうです。そのため、この周辺が「六道の辻」と呼ばれるようになり、冥界への入口だといわれるようになりました。そこに面して建てられた六道珍皇寺には、冥土まで鳴り響くといわれる「迎え鐘」や小野篁卿が冥界へと向かう際に使ったといわれる「冥土通いの井戸」が残されているなど、冥界のイメージと密接に関わる寺院として京都の人々から畏怖と崇敬を集めてきました。





まっすぐ伸びる石畳(左)と、御本尊が安置されている薬師堂(右)。


 
 六道珍皇寺の創建については、いくつかの説があります。ひとつは、平安時代前期の延暦年間(782~805年)に大和国の真言宗寺院・大安寺の住持で弘法大師空海の師であった慶俊僧都が創建した珍皇寺が始まりという説。もしくは承和年間(834~848年)に山代淡海が創建したという説。また、平安京に遷都されるより以前に阿弥陀ヶ峰の一帯に勢力を持っていた鳥部氏の氏寺である宝皇寺が由来ともいわれています。鎌倉時代までは東寺に属し、隆盛を誇っていましたが次第に寺勢は衰退していきました。室町時代に入った1364(正平19・貞治3)年になって、京都五山の第3位に列せられていた建仁寺の住持・聞渓良聰によって再建が行われ、それに伴って宗派も臨済宗に改められました。明治時代には、いったん建仁寺に併合されたこともありましたが、1910(明治43)年には独立を果たして現在に至っています。





表情厳めしい閻魔大王像(左)が安置されている閻魔・篁堂(右)。



 小野篁卿は平安時代初期の政治家で、文才のみならず乗馬や弓術・剣術にも優れた才能を持った文武両道の人物だったといわれています。しかし、一般的によく知られているイメージとしては、現世と冥界を自由に行き来することの出来る、優れた神通力を持った奇才という印象の方が強いのではないでしょうか。このイメージは、どうやら個性の強い小野篁卿の性格に起因するようです。

 小野篁卿は遣唐使の副使に任命されましたが、最初の2回は暴風雨に遭って断念。837(承和4)年に3度目の遣唐副使となって渡航を試みますが、その「不羈」な性格ゆえか正使だった藤原常嗣卿と衝突し、病気と称して京都へと舞い戻ります。さらに遣唐使制度を風刺する詩を詠むなどしたために嵯峨天皇の怒りに触れ、すべての官職を奪われて隠岐島へと流罪に処されてしまいます。しかし、わずか3年後の840(承和7)年には罪を赦されて京都に復帰、順調に出世を果たして行きました。このことからも小野篁卿が非常に優れた才能を持った有能な人物だったことが窺われます。このように、どんなに窮地に陥っても飄々と帰って来て人智を超えた才を発揮するという様子が、いつしか「冥界へ行っても必ず戻ってくる」「昼は朝廷で鮮やかに職務をこなしながらも、夜は冥界へと向かって閻魔大王の補佐の任にあたっている」といった噂となって誰言うことなく拡がり、冥界への入口といわれた「六道の辻」の六道珍皇寺と結び付いていったのではないでしょうか。





参道の左側にある水子地蔵尊(左)と、冥界まで響くといわれる「迎え鐘」の鐘楼(右)



 六道珍皇寺は、お盆の時期の毎年8月7日から10日までの期間「六道参り」と呼ばれる先祖の精霊迎えの行事で賑わいを見せます。参拝者は、門前で高野槙の葉を買い、本堂前で水塔婆を買って先祖の名前を書き込んでから本堂脇で「迎え鐘」と呼ばれる鐘を撞いて先祖の精霊を迎え、線香の煙にあてて清めた水塔婆を木箱に納めて、上から高野槙で水を注ぐという「水回向」と呼ばれる儀式を行って先祖の供養を行います。

 この際に撞かれる「迎え鐘」は、六道珍皇寺を開いたといわれる慶俊僧都が作らせたといわれています。この鐘の完成披露を行う前に遣唐使の随員として唐に渡らなくてはならなくなった慶俊僧都は、3年間この鐘を地中に埋めておくように寺僧に命じて渡航します。しかし、その期限を待ち切れなかった寺僧が1年半後に掘り出して鐘を撞いたところ、遠く離れた唐にいた慶俊僧都の耳にまでその鐘の音が聞こえ、「3年間地中に埋めておけば、毎日6時になると誰かが鳴らさずとも自然に鳴るようになっていたものを」と大変残念がったといわれています。遠く離れた唐の国まで聞こえる鐘であれば、さぞかし冥土へも鳴り響くのであろうと噂され、いつしか亡くなった人々が盂蘭盆会で家へと帰ってくる際の「迎え鐘」だといわれるようになりました。





本堂(左)の奥には、小野篁卿が使ったといわれる「冥土通いの井戸」(右)があります。


アクセス
・京阪電鉄京阪本線「清水五条駅」下車、北東へ徒歩20分
・京都市バス206系統「清水道」バス停下車、西へ徒歩5分
六道珍皇寺地図  【境内図】  Copyright (C) 2000-2010 ZENRIN DataCom CO.,LTD. All Rights Reserved.

拝観料
・境内無料
 ※本尊・薬師如来像および寺宝の拝観希望者は要予約(高校生以上:400円、中学生以下:300円)

拝観時間
・9時~16時 (12月28日から31日までは休み)