神戸の空の下で。~街角の歴史発見~

足かけ8年、150万PV突破。「近畿の史跡めぐり」のサブタイトルも、範囲が広がったために少し変更しました。

京都・松明殿稲荷神社。

2010年01月13日 | ◇京都府 -洛中
商売繁盛・開運厄除・病気平癒・交通安全

松明殿稲荷神社

(たいまつでんいなりじんじゃ)
京都市下京区七条通加茂川西入稲荷町452

通 称
田中社



七条通に面して立つ石鳥居。1934(昭和9)年に建てられたものです。


〔御祭神〕
大己貴命
(おおなむちのみこと)

伊弉諾命 ・ 伊弉冊命
猿田彦命 ・ 倉稻魂命



 松明殿稲荷神社は、社伝によると948(天暦2)年に創建されたといわれている古社で、伏見稲荷大社の境外末社とされており、別名「田中社」とも呼ばれています。「松明殿」という名前は、956(天暦10)年に勅命によって燎祭が執り行われた際、「炬火殿」の号を賜ったという故事にちなんで名付けられました。元々は現在地より西の黒門通塩小路(リーガロイヤルホテル京都の西側)に鎮座していましたが、数ヶ所の遷座ののち1711(宝永8)年に七条大橋のほとりにある現在地に遷されました。





1963(昭和38)年に建てられた赤鳥居の奥に鎮座する社殿。


 
 お世辞にも広いとはいえない境内ですが、末社である天満宮をはじめ、養阿上人ゆかりの手洗石と井戸などが残されています。養阿上人は江戸時代中期に活躍した名僧で、民衆を救うために様々な社会事業を行った事でもよく知られています。丹波国保津村の武士の家に生まれた養阿上人は24歳の時に仏門に入り、泉涌寺雲竜院高野山などで修行したのち京都の七条大宮に「梅香庵」という庵を結んで念仏行脚を行い、貧民救済に情熱を傾けました。1725(享保10)年には乙訓郡にあって廃寺となっていた安祥院を京都五条に移転して再建、さらには街道の修築や架橋事業など様々な社会貢献活動も精力的に行っています。松明殿稲荷神社の境内にある手洗石と井戸も、七条周辺の人々のために養阿上人が寄進したものだといわれています。





社殿の西隣に鎮座する天満宮。


養阿上人が寄進したと伝えられる手洗石と井戸(左)。右は隣接して立つ地蔵尊。


アクセス
・京阪電鉄京阪本線「七条駅」下車、西へ徒歩2分。
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拝観料
・境内無料

拝観時間
・常時開放