神戸の空の下で。~街角の歴史発見~

足かけ8年、150万PV突破。「近畿の史跡めぐり」のサブタイトルも、範囲が広がったために少し変更しました。

神戸・七宮神社(生田裔神八社)。

2007年03月01日 | ■神戸市兵庫区
縁結び・家内安全・航海安全

七宮神社(生田裔神八社)

(しちのみやじんじゃ)
神戸市兵庫区七宮町2-3-21


生田裔神八社



七宮の交差点の脇に境内への入口があります。


〔御祭神〕
大己貴命
(おおなむじのみこと)
天児屋根命
(あまのこやねのみこと)



 創建時期は不明ですが、平安末期の平家隆盛の頃には七宮神社に関する記録が残されていますので、1000年近い歴史を持つ古社であることは間違いありません。生田八裔神のひとつに数えられ、三韓遠征からの凱旋帰国の途中の201年に神功皇后が巡拝された神社だという言い伝えが残されていますが、江戸時代には生田神社の裔神としての扱いを不服とした訴訟が起こされ、生田神社との直接の繋がりが否定されるという出来事もあったようです。






 JR兵庫駅の北側に羽坂通という町があります。平安時代、この辺りには塩槌山という小山がありました。平清盛公が兵庫津を整備するに当たり、経が島建設のためにこの小山を切り崩して埋め立てに使ったところ、暴風雨などで海が荒れたためになかなか工事が進捗しなかったそうです。

 不審に思った平清盛公が調べさせたところ、塩槌山には大己貴命を祀った祠があったそうで、その山を崩された神が怒りのために暴風雨を起こしていたという結論に至りました。そのため現在の七宮神社の地に社殿を建立して大己貴命を遷座し、自筆の「南無七大明神」の神号を奉ってお祀りしたところ風雨も収まり、無事に兵庫津の開港が実現したということです。






 1582(天正10)年には、正親町天皇より「七宮大明神」の勅額や三種の神宝画が下賜されたこともありました。1602(慶長7)年には片桐市正公や大久保石見守などが七宮神社を厚く崇敬し、社殿の建立や太刀・金幣・狛犬などの寄進を行ったそうです。

 1799(寛政11)年には、徳川幕府の命を受けて国後・択捉航路開拓のために出航するのに先立って、高田屋嘉兵衛七宮神社を参拝し、3隻の模型船を奉納して海上安全を祈願しました。これをきっかけとして、海上業者は必ず七宮神社を参拝して航海の安全を祈願することが風習になったといいます。

 これらの宝物や文化財は、残念ながら1945(昭和20)年の神戸大空襲で全て焼失してしまい、さらには1995(平成7)年の阪神・淡路大震災でも大きな被害を受けました。






 七宮という名前は、神功皇后が7番目に巡拝されたからだという言い伝えのほかに、御祭神である大己貴命大国主命大物主命葦原醜男八千矛神大国玉命顧国玉神という7つの呼び名を持つ神さまであるがゆえに七宮神社とされた、という説もあります。



アクセス
・JR「神戸駅」下車、南西へ徒歩10分
・神戸市バス「七宮町」バス停下車すぐ
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拝観料
・無料

拝観時間
・常時開放

神戸の神社
兵庫県神社庁神戸市支部
神戸新聞出版センター

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