神戸の空の下で。~街角の歴史発見~

足かけ8年、150万PV突破。「近畿の史跡めぐり」のサブタイトルも、範囲が広がったために少し変更しました。

西宮・西宮神社。

2007年01月13日 | □兵庫県 -阪神
商売繁盛・海上安全・学業成就・家内安全・交通安全

西宮神社

(にしのみやじんじゃ)
兵庫県西宮市社家町1-17

神仏霊場兵庫 豊饒の道・第2番札所



福男がスタートを切る表大門。震災で崩れた鳥居は2006年末に再建されました。


〔御祭神〕
蛭子命
(えびすのみこと)
天照大神
(あまてらすのおおかみ)
大国主大神
(おおくにぬしのおおかみ)
須佐之男大神
(すさのおのおおかみ)


 「十日えびす」で有名な西宮神社。古来「戎の宮」と呼ばれた西宮神社は、福の神である「えべっさん」の総本社として全国から崇敬を集めています。主祭神は蛭子命伊弉諾(いざなぎのみこと)伊弉冉命(いざなみのみこと)との間に生まれた最初の神ですが、五体満足に生まれなかったために葦の舟に入れられ、おのころ島(淡路島といわれています)から流されてしまいます。やがて、西宮浜(今津あたり)に漂着した蛭子命は、地元の方々に拾われて育ち、海運・商業そして漁業の神となったといわれています。





普段の社殿。えべっさんの時とは違う味わいがあります。



 創建時期は明らかではありませんが、山手にある廣田神社の境外摂社だったといわれています。また、「延喜式」神名帳に記されている摂津国莬原郡の大国主西神社西宮神社の事ではないかといわれています。「梁塵秘抄」や「伊呂波字類抄」といった平安時代の書物や、1128(大治3)年の西宮歌合、1172(承安2)年の廣田神社での歌合にもの名が見られ、高倉上皇の御奉幣をはじめ皇族・神祇伯の参拝が度々あったことが古文書に記されていますので、かなりの歴史を誇る古社である事は疑う余地がありません。鎌倉時代には、「十日えびす」の原型である居籠祭御狩神事が行われており、室町時代には七福神信仰の定着から「えびすさま=福の神」信仰の総本社として、西宮神社は益々栄えていきます。この繁栄には百太夫を始祖とする傀儡師の活動によるところが大きいと考えられています。西宮神社の近辺には人形芝居の演者である傀儡師たちが多数住み着き、神社の氏子として雑役奉仕に勤めていました。そんな彼らが各地を巡業してえべっさんの神徳や縁起をもとにした演目を披露して戎の宮の神札を広めてまわった事で全国区の知名度を誇る神社となりました。





出店があるときはまったく分からなかった神池。社殿の向かい側に広がります。



 西宮神社の社殿は1534(天文3)年に兵火で焼かれますが、翌年には後奈良天皇の御寄進を受けて再建されました。さらに1578(天正6)年にも兵火に巻き込まれて焼失しますが、豊臣秀頼公の支援で1610(慶長15)年に建て直されました。その後も江戸幕府第4代将軍・徳川家綱公の手によって社殿が造営されるなど整備が進み、江戸時代には上方の商業経済の発展とともに福の神である「えべっさん」が商売繁盛の神として信仰されるようになり、民衆から厚い崇敬を集めるようになっていきました。





“縁結びの神”大国主西神社(左)と、1872年に境内に遷された沖恵美酒神社(右)。



 他に類を見ない珍しい三連春日造で国宝に指定されていた西宮神社の本殿は、1945(昭和20)年に戦争による空襲のために全焼してしまいましたが、1961(昭和36)年には元の姿そのままに復元されました。室町時代に建てられた大練塀と安土桃山時代に建てられた表大門は国の重要文化財に指定されており、境内に広がる「えびすの森」は天然記念物に指定されています。





国道43号線沿いに建つ南門。えべっさんの時はここが出口になります。


アクセス
・阪神電車「西宮駅」下車、南へ徒歩5分
・JR「西ノ宮駅」下車、南西へ徒歩15分
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拝観料
・境内無料

拝観時間
・常時開放

公式サイト


西宮神社

學生社

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