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采女神社
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(うねめじんじゃ)
奈良県奈良市樽井町15
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「縁結びの神さま」として知られる采女神社。
〔御祭神〕
采女命
(うねめのみこと)
JR奈良駅から奈良公園へと向かう三条通。ここをしばらく歩くと興福寺の三重塔や猿沢池が見えてきます。この池のほとりに真っ赤な鳥居の小さな神社が建っているのが分かります。社殿以上に大きな社務所には「縁結び」の看板がかかり、お守りを買ったり絵馬を奉納したりする観光客で賑わっています。この神社は春日大社の境外末社である采女神社です。創建に関しては、帝の寵愛を受けた采女の悲しい失恋の物語が残されています。平安時代に書かれた「大和物語」の第150段には天皇から受けていた寵愛が衰えていった事を嘆き悲しみ、絶望して猿沢池に入水自殺してしまった采女の話が書かれています。采女というのは、地方の国司や豪族から朝廷に献上された子女が就いた天皇の身の回りの世話をする役職の名前です。このうち天皇に見初められて子を宿した采女は後宮の一員に加えられますが、そうでないものは生涯を一介の采女として年老いていく運命にありました。悲恋の采女は、帝の寵愛を受けたものの子を宿すことなく、その愛情が薄れていく不安感から衝動的な行動を取ってしまったのでしょう。これを聞いた帝は采女の霊を慰めるために猿沢池のほとりに社を築きますが、入水した池を見るのは忍びないと一夜のうちに社殿が向きを変えて鳥居に背を向ける形となったといわれています。これが采女神社の起こりだといわれています。
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鳥居は猿沢池に向いて東向きに、社殿は西向きに建っています。
元々この場所は広大な敷地を誇った興福寺の境内の東北にあたります。弘仁年間(810~824年)に藤原久嗣卿の八男である藤原良世卿が事代主命を祀る鬼門除けの祠を建立したといわれており、敷地に向かって建っていたため西向きに作られていたそうです。時代が進み、祠の西側にも民家が立ち並んできたため、入口である鳥居を東側に移動したので社殿が鳥居に背を向けるという非常に珍しい形になってしまいました。やっぱり鳥居と社殿が逆方向に立つのはおかしいということで1634(寛永11)年には東向きに建て直されたこともあったそうですが、悲恋の采女の物語に配慮してふたたび西向きに戻されたというのが真相のようです。
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悲恋の采女の伝説に因み、入水した猿沢池に背を向けて建っています。
アクセス
・JR「奈良駅」下車、東へ徒歩10分
・近鉄「奈良駅」下車、東へ徒歩5分
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拝観料
・境内無料
拝観時間
・常時開放 (扉は閉じられていることも多いのでご注意ください)
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