神戸の空の下で。~街角の歴史発見~

足かけ8年、150万PV突破。「近畿の史跡めぐり」のサブタイトルも、範囲が広がったために少し変更しました。

奈良・春日大社。

2007年01月08日 | ◆奈良県
開運招福・厄除け・商売繁盛・合格祈願・災難除け

春日大社

(かすがたいしゃ)
奈良市春日野160



神仏霊場奈良 鎮護の道・第2番札所



三条通を一路東へ。興福寺を抜けた先に一の鳥居があります。


〔御祭神〕
武甕槌命
(たけみかつちのみこと)
経津主命
(ふつぬしのみこと)
天小屋根命
(あめのこやねのみこと)
比売神
(ひめのかみ)


 1200頭以上の鹿が生息しているといわれる奈良公園。その昔は鹿を殺した場合は死罪になるなど厳しい処罰を受けたといい、現在でも天然記念物指定を受けているため傷つけた場合は文化財保護法違反となるそうです。なぜ鹿がこれほどまでに大切にされるのでしょうか。それは春日大社の御祭神・武甕槌命と深い関わりがあります。武甕槌命は、元々茨城県の土着の神で鹿島神宮の御祭神でした。「出雲の国譲り神話」では出雲国のトップである大国主命に支配権の禅譲を迫り、最後まで抵抗した武御名方命を圧倒的な力で一蹴した最強の神だとされています。大和朝廷が東国へと支配圏を拡大していく過程で、常総地方は最前線の重要軍事拠点でした。その土着の神を軍神として崇敬する事は、士気の高揚のためにも大変重要な政策だったと考えられます。その武甕槌命春日大社へと勧請されてきたとき、白い鹿の背に乗って飛ぶようにやってきたという伝説が残されており、現在奈良公園にいる鹿たちはこの伝説の鹿の子孫たちだといわれています。そのため、神の遣いであるという理由で手厚く保護されてきたのです。





参道を抜けると二の鳥居が見えてきます。社殿まであと一息。



 また、奈良公園の鹿はお辞儀をする事でも有名です。藤原氏の繁栄と共に藤原一門をはじめ皇族や公家たちの春日詣が盛んとなりましたが、このとき神の遣いである鹿に会うたびに輿を降りてお辞儀をして一礼をしていたため、鹿たちにもお辞儀をする習慣がついたといわれています。犬の「お手」と似た感じで、鹿煎餅をもらうために覚えたのではないかとも思いますが、なかなか興味深い話ではあります。





二の鳥居の近くにある祓戸神社。



 春日大社は、藤原4家の主導権を握った北家出身の左大臣・藤原永手卿が、藤原氏の氏社として768(神護景雲2)年に常陸国の鹿島神宮から武甕槌命を勧請して建立したといわれています。常陸国は藤原氏繁栄の礎を築いた祖である中臣鎌足卿のルーツだといわれており、以前より氏神として崇敬されていた武甕槌命を主祭神として勧請したと考えられます。このほか下総国の香取神宮経津主命、河内国の枚岡神社に祀られていた天児屋根命、さらには比売神を併せてお祀りしたのをもって創祀としています。これには当時の称徳天皇の命があったともいわれています。しかし春日大社が創建されたといわれている768年以前から、この地には祭祀の場が築かれていたことが分かってきました。創建よりも10年ほど前に描かれたという「東大寺山堺四至図」には、既にこの場所は神地と記されています。平城京が誕生した710(和銅3)年には既に藤原不比等卿が藤原一族のために神社を建てて武甕槌命をお祀りしていたといわれており、717(養老元)年には遣唐使の航海安全を祈願する祭祀が行われたという記録が残されています。こういった記録から、御蓋山麓のこのエリアは神域として古代から祭祀の場であったのではないかと考えられています。





春日大社の社殿に到る中門。初詣客でごった返しています。



 藤原氏の繁栄と共に発展した春日大社は、平安時代中期あたりから神仏習合説をもとに藤原氏の氏寺である興福寺の影響を受けるようになります。813(弘仁4)年の興福寺南円堂の建立の際には、御本尊である不空絹索観音春日大社武甕槌命の本地仏とされました。その後974(天暦元)年には「春日大明神=法相擁護の神」という事で興福寺の僧侶による社頭での読経が始まり、1135(保元元)年には若宮大社が創設されて興福寺による支配が完成しました。興福寺の僧侶が一斉に春日大社の神官に転職するという信じられないような事も行われたそうです。まさに買収した企業に対して役員が多数乗り込むといった現代のM&Aを彷彿とさせます。11世紀の末頃からは、興福寺の衆徒たちが春日大社の御祭神を遷したという榊の神木を押し立てて上洛、強訴に及ぶようになりました。その回数は実に70回を越え、「山階道理」という言葉が生まれるほど朝廷を苦しめる事となります。こうした宗教勢力の過剰な政治的行動が、のちに平重衡公によって行われた南都焼き討ちを招く原因となりました。こうした興福寺による春日大社支配は江戸時代も続き、明治維新後の神仏分離令および廃仏毀釈によってようやく独立を果たす事になります。1871(明治4)年に春日神社と改称され、官幣大社に列せられましたが、1946(昭和21)年には春日大社に改称されて現在に至ります。





春日大社の社殿。賽銭箱のネットが設けられていました。


アクセス
・JR「奈良駅」下車、東へ徒歩15分
・近鉄「奈良駅」下車、東へ徒歩10分
春日大社地図  【境内図】  Copyright (C) 2000-2006 ZENRIN DataCom CO.,LTD. All Rights Reserved.

拝観料
・無料 (特別参拝:500円)

拝観時間
・常時開放 (特別参拝:9時30分~16時30分)

公式サイト
  

春日大社 (日本の古社)
三好 和義,岡野 弘彦
淡交社

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