馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

芝信用金庫横領事件 隠蔽工作続き。(101)癌発症後の明暗。

2020-07-11 07:55:17 | 日記

鵜の黒さをあざ笑うカラス 谷津干潟

自分のことは棚にあげ悪口言う奴いますね。

7月9日木 夜半 激しい頻尿が始まる。

10分おきにトイレに駆け込む。

7回程続く。

眠ること出来ない。

ブログを更新するどころではない。

 

3年前 前立腺癌放射線治療による

副作用が顕れた。

リーフレットにも、経年後に突如として

永久に埋め込まれた86個のカプセル内の放射線が暴れ出した?

 

原因は分かっている。

連日の豪雨により外出せず、室内でトランス製作作業により

動かなかった。

前立腺癌治療回復にはウオーキングが大事だ。

歩き体内血流を循環させる。

又、発汗作用により水分を抜く。

 

放射線治療直後は下記ブログに記載。

 

 

小線源治療後 人間辞めたくなった!

 

 

 

前立腺癌 小線源治療後 幻覚症状。

 

 

 

想い出るのは、2009年9月の事だ。

大学同期と同年 癌治療で入院した。

同期は国立がんセンターでの

食道癌手術。

 

私は地元の総合病院での治療。

大腸に癌化寸前の1円玉の大きさポリープを3個切除。

手術ではなく、切り取った。

 

同期は10時間に及ぶ手術を経て

声帯を失った。

2010年6月25日 転移して61歳で死去。

 

私はポリープ切除した病院で3カ月に一度定期検査をした。

2017年1月に前立腺癌発症

2017年4月に放射線治療。

二つの初期癌は手術もせずに快復。

 

死と生還の分かれ道。

 

同期は独身であった。

両親は既に他界。

遠くにシングルマザーの妹がいる。

頼るべき親族はいなかった。

 

大手飲食チェーンの部長後早期退職した。

私の近くのマンションで住み

展示会等の手伝いをしてくれた。

 

酒豪とヘビースモーカー。

 

一緒にランチするが、大ジョッキビールを二つ

大ジョッキチューハイを一つ飲み。

サラダを少し食べる。

夜は日本酒を金魚が胃無いが如くに飲み続ける。

 

煙草はショートホープ二箱を吸う。

商売柄、給料は安いが、酒は給料の内と豪語。

「30年間で3千万円以上のただ酒飲んだ」

 

当人の置かれた社会環境と個人環境が

早期発見早期治療を妨げた。

 

癌は今では治癒できる。

 

地球を覆うコロナウイルス。

中南米の社会環境と個人の劣悪環境での生活が

コロナに負ける。

 

高齢者は、閉じ籠りして待っていれば良いが

働く世代は動き、人と人が接触しなければ生きていけない。

 

人間 漢字の如し。

先が見通せない不安は、働く世代に重くのしかかる。

 

東京オリンピックは、ますます遠ざかる。

ユリコの野望も遠ざかる。

 

再掲

ニュートーキヨービル閉館。

2015年3月15日

3月15日(日)

数日前の新聞に銀座数寄屋橋 ニュートーキヨー 閉館の記事があった。

私は1967年(昭和42年)大学に入った。

同時に体育会山岳部に入部。

1971年卒業。

時は流れ平成時代1991年 何月か思い出せないが

体育会所属部員を中心とした同期会が開催された。

場所は数寄屋橋のニュートキヨービル メーンホール

受付に黒服姿のあいつが立っていた。

卒業以来24年ぶりの再会であった。

懐かしき仲間が会場に溢れ再会の歓談が

立食テーブルで広げられた。

体育会合気道部主将であった彼はニュートーキヨーの副支配人だった。

その後、時折 彼と飲むことがあった。

当時 彼は独身で鎌ヶ谷の自宅にご両親と住んでいた。

大酒飲みでヘビースモーカーであった。

その後、60歳前に早期退職をした。

ある朝、最寄駅で再会した。

私の近くにマンションを購入したのだ。

3LDKの新築マンションに一人暮らしだった。

既にご両親は他界。

妹は嫁ぎ埼玉に住んでいた。

 

リーマンショック前で景気は良かったが

経済成長は徐々に下降気味だった。

私の仕事を手伝いしてもらった。

ビッグサイトで開催されるギフトショーの設営準備。

事務所内での商品検査等を煙草を吸いながら

無口な彼は黙々と続けた。

外でのランチは、必ず生ビール大ジョッキ2杯で

サラダを食べるだけで食事はしなかった。

夕方仕事を終えると、豪快に日本酒を飲み続けた。

ビヤーホールの支配人時代の話で

「酒も給料のうち、安かったが商売柄飲み代がかからない」

普通のサラリーマンだったら30年勤めれば

飲み代は1千万円以上は自己負担している。

退職金代わりだと語った。

2009年 3月、突然日本橋にあった事務所に現れた、

「俺は食道癌らしい」

千葉の癌センターで再検査した。

9月に摘出手術が決まった。

病院の帰途、電車から飛び降りたいと考えたと言う。

私も9月に大腸ポーリープ摘出で別の病院に入院した。

2010年 癌は転移した。

ケアーマネジャーから「夏が始まる前までの命です」と

私に告げられた。

6月25日 谷津の病院で逝った

 

それから毎年2回墓参りする

 

大震災も知らず

 

 

そして勤めていたビヤーホールも無くなった。

破壊は一瞬 建設は死闘!

私が三途の川を渡り迎えてくれるあいつに

下界で起きたことを伝えよう。

 

 

再掲

芝信用金庫横領事件 隠蔽工作続き。

2019年1月28日

芝信用金庫横領事件続き

多田正則横領が発覚

 

 

危険を逃れた。

当時 ネット掲示板を作成していた。

その事件を実名ではなく掲載した。

 

すると、知り合いからコメントが頂いた。

内容は、

「この信金と不良社員の名を公表し

第二、第三の犠牲者を出さない事だと思います」。

 

 正しく、そうなのだ。

芝信用金庫 佐藤副支店長の奸計に嵌められ

横領を拡大させたのだ。

 

芝信用金庫石原理事長

私の書面に何故回答せず黙殺するのか、

非営利法人である信用金庫の信頼、失墜を失っても

自己保身が優るのか?

子供への虐め虐待が事実として有りながらも

学校長、教師、教育委員会等が隠蔽する。

同じように、弱者である、零細、老人をゾンザイに扱い

突き落とすのと


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