退社が決まったその年 6月
新任管理部長が、私に退社を思い止まるよう説得会談が行われた。
やはり、書記長退任して直ぐに嫌がらせ人事を経験。
懸命に説得して頂いたが退社決意は変わらなかった。
後に管理部長は本社の専務になった。
経営側は、書記長を思い通りになる社員を
わざわざ地方から転勤させた。
退社して4年後、組合はストライキを敢行。
あえなく、敗北。
その時、初めて組合執行部は自らの無知無能を知った。
そして経営側担当者が、私を銀座での食事に招いた。
宴の終わりが近づく頃、
「書記長は、思想的問題も破壊者でもなかった。
後にも先にも、あなたを上回る書記長がいないでしょう」
真面目一筋の従業員を、己たちの保身と出世のために
貶めたのだ。
白々しい弁明を銀座のネオン下で聞いたのだ。
又も虚しい銀座の夜だった。
現場を知らない経営陣
経営を知らない組合
親会社に忖度する傀儡経営陣
親会社の労組が組織統一を企み、介入
私が書記長をする労使関係を無力化しようと画策。
全ての立場が、自分達が有利なように立ち回り翻弄。
皆 思惑通りにはならなかった。
会社が50年経っても生え抜きの役員が一人もいない。
互いの不信感は現在も消えていない。
後年 帝国ホテルで組合設立記念行事があり
行きたくなかったが、事情で出席。
当時の経営側幹部は、懐かしそうに
「書記長には全戦全敗だった」
組合役員は私に近寄って来なかったが
一人だけ、当時から弁舌だけは立派だが
行動が伴わないのが寄ってきた。
「書記長の当時の労使交渉は、今でも燦然と輝いています」
きまり悪そうに言った。
自分が列席する場ではないと知った。
直ぐに会場を後にした。
夕暮れの有楽町駅に向かう。
呟いた。
「俺は一体何だったのだ」
後に、聞いたのは
「組合役員は、書記長に後ろめたい気持ちがあるので
近づかないのですよ」
スケールは違うが、中東、アフリカの独裁者を斬首すれば
平和が訪れるなどの偏向戦争により、混乱は拡大。
収拾がつかなくなった。
北の金坊、不毛大地のキンペイを斬首したら
中東 アフリカ、アジアは人間らしい営みは失われ砂漠化する。
Ⅴに続く。