馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

悲しいスナック。

2016-12-19 20:52:54 | 日記

12月16日(金)

鰻からの続き

 

カウンター席に腰かけ

同期はお茶。

私は薄い焼酎お湯割り。

 

小路の外れ、昭和40年代の木造2階建て

怪しげな黄色のネオン看板

2階のBAR

知らなければフリーで入れない。

9人入れば、呼吸困難になる。

蟹歩きの厨房 ガス台は一つ。

壁には、愛犬の写真。

煙草で煤けた黒壁。

カラー写真ではなくてもセピア色の昭和にタイムスリップした。

 

暫くして、中年男性が入る。

そして、見覚えのある老人がきた。

二人は煙草を吸いだす。

同期はディープブルーパッケージのピースを

オイルライターで煙にする。

故郷下関に帰った大学同期応援団長から

電話があった。

ブログで私の前立腺癌入院検査を知り

心配して電話してきたのだ。

 

ゆったりした時が流れ

ママが盛り上げようと

カラオケで自ら唄う。

美空ひばり港町13番地

老人は70半ば

離婚して一人で年金暮らし。

毎夜 孤独を癒しに店にやって来る。

 

中年男性が唄った。

とても、上手だ。

元歌手もしたそうで

自分のレコーディングした曲を歌う。

結局 歌手では食えなくて公務員になった。

ママは、言った。

この方は息子さんを交通事故で亡くした。

不躾だったが、詳しく尋ねた。

今年3月、青梅街道でトラックに敷かれた。

即死だった。

その夜、息子と飲んだ。

別れた後だった。

息子は26歳、妻と1歳の子供がいた。

 

小さなスナックに紫煙が充満したが

5人とも無言だった。

会話が続かなかった。

中年男性は、毎晩 店が閉じるまで飲み続けた。

 

カラオケをリクエストした。

今年 亡くなった永六輔作詞の曲。

 

黄昏のビギン

彼女が唄うのを聴きながら

彼女の半生を想った。

日本で勉強が出来ると誘われ

来日したが、騙され全てを失い

自暴自棄になり、気付くと

3日間昏睡状態を助け出された。

上海に帰り

再び来日して学校に通い弊社で働いた。

永住資格を取得してお店を開いたのだ。

 

お父さんウイグル族、お母さんは漢族。

大陸では差別された。

ご両親を日本に3か月間招いて暮らした。

お父さんは、日中戦争当時台湾にいた。

戦争が終わると、日本のスパイとして

牢屋に10年間入った。

お父さんが深夜倒れて病院に担ぎこんだが

現金を前払いしないと、治療はしない

カードは受け付けないと言われた。

深夜 駆けずり回り現金を用意した。

しかし、父親は亡くなった。

既に母親も他界した。

彼女は大陸が大嫌いだ。

 

「日本人にお世話になった」

「私は日本の味方です」

彼女の絶望と悲しみを奥深く押し込み

酔客に愛嬌を振りまく笑顔が瞳は寂しげだ。

 

私が、九段スズキ本店 長野利男

ワイズ鈴木康雄に騙された現実を目の当たり見て

「日本人にもこんな卑怯な人間がいるのね」と泣いた。

そして、息子を心の病にした長野を許せない。

みんな、心の奥底を覗けば悲しみが詰まっている。

酒は、喉、袋、腸を通って吐き出せるが

屈辱は溜まったままだ。

 

22時 中野始発総武線に乗車。

新宿駅で、若い男女がなだれ込む。

そうか 金曜日 忘年会か!

23時半 自宅に着いた。


中野で、何年前食べたのか憶えていない鰻を食べる。

2016-12-19 18:57:36 | 日記

12月16日(金)

15時 総武線に乗り中野駅で降りた。

サンプラザ前から阿佐ヶ谷行バスに乗車。

四つ目で下車。

バス停から50メートル程の建物に向かう。

窓ガラスから、大学同期が手を上げる。

公的機関で打ち合わせ。

30分程で終了。

 

 

前々から 約束していた商談だったが

同期は尿管結石で入院

私も前立腺癌入院検査で伸び伸びになっていた。

わたしは徒歩、同期は自転車で

中野駅方面に向かう。

 

旨い鰻を御馳走してくれるお誘いで中野に来たのだ。

日本近海でウナギが獲れなくなって久しい。

うなぎ屋が閉店や値上げもある。

アナゴは食べても鰻を食べた記憶がないほどだ。

   

同期は酒が一滴も飲めないがグルメである。

冷たい路地を抜けて、ガラス戸を引く。

カウンターだけの鰻屋。

私は鰻骨と熱々燗酒頂く。

同期は少年野球の指導もしていた。

鰻屋の孫も教えていて馴染み。

1時間程で店を出る。

 

日本で最も住みやすい街と上位にあり

飲み屋小路が幾重にも錯綜している。

密集する木造家屋は全て飲食店。

サラリーマン 学生、地元住民が

毎夜、小路に饗宴を繰り広げられる。

 

小路の更に横道に黄色の明かりの店名が見えた。

階段というより、梯子を登ると表現するのが

妥当な階段を手摺に捕まりながら2階の扉を開ける。

ちりんと鈴がなり、カウンター前の椅子に座る

女性が振り返る。

扉が開く前まで、もの思いに慕っていた表情。

一瞬 ぽかん と私を見詰めて声が発せられない。

「社長 大丈夫なの」?

 

連絡もなしに現れたので吃驚!

 

彼女は、私が前立腺癌入院検査を知って

先月25日 柳橋事務所に訪ねてきたのです。

 

彼女は、弊社で働いていました。

13年前に,中野で小さなスナックを開いた。

 

日本人以上に日本人気質で祭り好き

さっぱりと色気のない女性?

続く。