uncolored wind

私に吹く風
アートとモノづくり

保障するっていうこと

2007-11-10 11:21:35 | 日記・エッセイ・コラム

10月末、北上するので天候が気になる。

車での移動だからタイヤ交換どうしようか・・・。タイヤは今年新規購入。

アスファルトが出ているともったいないし、だけど少し慣らしたほうがいいし、だけど時間はないし・・・。

車好きの友人と話す。昼間ならいいけど、「朝夕は霜が降りるとねえ。」「自分が気をつけていても当たられると意味ないし。」「自分の性格に合わせるしかないんじゃないか」

その通りです、友人よ。早速ディーラーが閉まる時間滑り込みでタイヤ交換。

その日から交通安全取締りが強化された事もあり、心配性な私は交換する事にしたのでした。

移動日午前は昼まで教室を受け持ち、指導要点を入ってくれる同僚に言伝。北の研究会へは急ぎ足で向かう。走ってすぐにミゾレ。良かったー交換して。

さて、合同教研では教科研究委員として参加。私の年齢では自分の生きたい方向をある程度出さなくては思いもよらない軌道になるという事がわかってきた。(遅いけど)自分を必要としてくれる場所があることはありがたいけれども、本当に進みたいことから遠ざかる予感にドキドキしてきた。私はやっぱりこっちへ行きたい。学びたいこともいっぱいある。

事前にもらったレポートは教科研究の視点から気になる部分に付箋を貼る。大方、どうしてそういう字面になったのかは発表を聞いていてクリアされる。クリアされない時は正会員などが討議を進める。私の役目はこの分科会の本流をキャッチする事だ。何が問題で、何を結論としたのかなど。他の教科と違うのは、美術は広くて柔軟で深いアンテナを持っていなければいけないこと。そして、受信した事が当たり前のことのように新鮮に感じていく力が要求される。・・・もうひとつ、人が集るときにそれを素敵で貴重な場にできるかどうか。顔を合わせて話せるのに、始終うつむいていたり、自分には触れないでオーラを出しているようではインターネットでのやりとりと何ら変わりは無い。せっかくその場に居るのだから正会員にはもっとキラキラしてほしいのだけど、疲れているのかな、病んでいるのかな。そんなものだったかな。美術を語ることが保障されている2日間。贅沢な時間。私はみんなのために何ができるだろうか。まだまだ甘い私よ!

今まで自主編成委員会の「子どもの人権」を一緒にとりくんでいた人が、私の親戚だった事が判明。遠い遠い関わりだけど、親類がほとんど居ない私にはとっても嬉しい事だった。その方の父上が弟の担任だった事も帰宅して判明。今まで17回も引越しをしているので、今住む町も「ここに住んでいます」とやっと言えるようになったようなもの。世の中狭いね。嬉しいです。

帰ってきて早速実践。5月に植えた枇杷の種が芽を出し、7枚ほど葉をつけた。描く前に水をやり葉っぱを撫でたりつついったり。彼女は躊躇無く描いていくが、葉っぱのギザギザや新芽のフワフワしたところはこだわりを持っているようで、明らかに動きが違う。筆運びを見ていると葉っぱの輪郭ではなく、出てきた方から伸びるほうへ筆をしっかり動かしていく。最後は特別な緑で「ふわっふわっ」と言って新芽を描いていた。地塗り済みのスクエア型ウッドボードに9枚分もかき上げた。教室前にディスプレイすると、甘い蜜に引き寄せられるように何人かの人が教室に足を踏み入れ感想を言っていく。「枇杷の種はどうやって手に入れたの?」「給食に出た実からとって置いたんだよ」「いいね」

昨日は私の車のガラスルーフにJISマークがついてあることのお詫び封書が届いた。国外工場で生産したので、その国の保障マークだけでいいはずなのだが、気を利かせすぎてやっちゃたのだ。何だそれ!?

保障することってたくさんある。場所・時間・物・お金・人権・安全…。私が一番保証してほしいのは、一見無駄に思えても何も無い時間。それができる場所と状況。贅沢な事だよね。保障の全ては「いのち」のためにあるんだよね。