goo blog サービス終了のお知らせ 

ごっとさんのブログ

病気を治すのは薬ではなく自分自身
  
   薬と猫と時々時事

書評 難しい文章

2015-09-02 11:30:17 | 文化
このブログに書評を2回書いてみました。その結果どうも私は、いわゆる書評的なものを書くのに向いていないということがわかりました。

書評とは私なりに定義しますと、その本の内容を紹介し、面白い部分や特徴的な部分を取り上げ、読んだ人がその本を読んでみたいと思わせるような文章と考えていました。それでいざ入力しようとすると、文章がなかなか出てこないのです。以前にちょっと書きましたが、このブログは大体こういうことを書こうと決めて、パソコンに思い付くまま入力していきます。ですから当然下書きや原稿的なものは全くありません。そのため書き終わってみるとタイトルと違っていたり、余談的な余計なことが入ったりしています。

ところが書評を書こうとすると、見直したりすることも多くなり、タブレットを横に置いて探したりすることも多くなります。本来私は、本を読んでそれを短い文章にまとめるということは、仕事柄常にやっていたことです。つまりほんのあらすじを書いていくのであれば、問題なく文章が出てきそうです。実は今回、今話題の小説「火花」(又吉直樹著 文芸春秋社)の書評を書くつもりでした。これは芥川賞も受賞し、若手芸人の青春ストーリーとしてもなかなか面白いと感じました。ところがいざ書こうとすると、どうもイメージがわいてこないのです。芥川賞の受賞作が決まると、毎回必ず読んでいますが、はっきり言ってそれほど面白いものはなく、なぜこれが権威ある賞になるのかわからないことが多いようです。こういった小説家の大先生などが選考すると、我々単なる読書好きの評価とは違うような気もします。

ですから近頃は、本屋大賞になった本を読むことが多くなっています。こちらの方がいわば素人が選んでいますので、私の感覚に近いような気がして、本当に面白いと感じる本となっています。さて書評が書きにくいのは、私の読書法にも原因がありそうです。昔から本だけではなくドラマや映画を見ても、人の名前を憶えていません。人の名前だけではなく、固有名詞的なものすべてを覚えることができないようです。ですから本を読んでいても、名前を認識するというより、その漢字で現される人が誰かを例えば主人公とかその友人とかをパターン認識してしまうようです。つまり二つの漢字が並んでいると、これはこの小説のなかでこういう役割をしている人を表していると理解できれば、読み進めるのに何の問題もないわけです。

こういった事と、書評が書きにくいのと関係はないのかもしれませんが、いわゆる書評はあきらめて、その本の要約的な文章で紹介してみようかとも思っています。