奈良の魅力を発信

奈良のグルメ情報や史跡・名勝・万葉集・古事記・日本書紀・昔話のゆかりの土地を紹介します
ので、よろしくです!!

万葉集をわかりやすく解説

2019-09-25 07:32:51 | 地域と文化

作者 倭大后(やまとのおおきさき)  巻二  一四九番歌

 人はよし 思ひ止むとも 玉鬘(たまかづら) 影に見えつつ 忘らえぬかも

訳:他人は故人をしのぶこともやがてなくなるかもしれない。たとえそうであっても、私には美しい鬘のように面影に見え続けて、忘れられないことだ。

 

解説

 この歌は天智十年(671年)に天智天皇が崩御した際、皇后であった倭姫王(やまとひめのおおきみ)が詠んだ挽歌です。同じ頃に詠まれた後宮のほかの女性たちによるとみられる歌も含め、「万葉集」には天智挽歌群が掲載されています。

 「日本書紀」巻第二十七によれば、天智十年の九月に天智天皇が病気になり、十月十七日に重症化、十二月三日に近江宮で崩じた、とあります。直後の十二月十一日には、新宮で殯(もがり)をしたこと、古代において社会的事件の前兆と考えられていた童謡(わざうた)が三首みられたことも記されています。この年には、「漢書」で王室交代の前兆とされた鼎(かなえ)が鳴るなどの現象もあったということで、いずれも、翌年に起こる「壬申の乱」を予感させる内容でえあると言えます。

 続く「日本書紀」巻第二十八でも、巻二十七の最後部を繰り返すように天智天皇が病に倒れた後の動向を記し、大海人皇子(後の天武天皇)は皇位に就く意思がなく出家したなど、壬申の乱に至る経緯や乱の具体的な様子が事細やかに記されています。

 この歌を詠んだ倭姫王の父・古人大兄皇子(ふるひとのおおえのみこ)は、舒明天皇の第一皇子でしたが、母親が蘇我馬子の娘・法堤郎女(ほほてのいらつめ)であったことから、645年の乙巳の変(大化の改新)で蘇我氏の本宗家が滅びると同時に、有力な後ろ盾を失ったとみられます。皇位に就くこともなく、出家して隠棲しようとしたものの、中大兄皇子(後の天智天皇)に謀反の罪で誅されたといいます。倭姫王の母親は不明であり、倭姫王と天智天皇との間に子どもが生まれたという記録もありません。

 父親のかたきにあたる男性の妻として生き、他人が忘れても自分だけは夫の面影を慕うと歌を詠む、古代の女性の複雑な人間関係と心情とを思ってしまいます。

 

万葉集を彩る人物~中大兄皇子(天智天皇)~

 中大兄皇子は、大化の改新(乙巳の変)を主導し、蘇我入鹿を殺害して「大化の改新」と言われるようになる政治を行った人物なのです。

 中大兄皇子は、聖徳太子の死後、太子が築いた天皇中心の政治が衰退しはじめ、その代わり豪族であった蘇我馬子(そがのうまこ)の息子である蘇我蝦夷(そがのえみし)と孫の蘇我入鹿(そがのいるか)が大臣という高い地位につき権力を握りました。その経緯ですが、元々、蘇我馬子は聖徳太子の政治を助けていたためです。

蘇我入鹿は、舒明天皇をないがしろにして、自分が天皇であるかのような立ち振る舞いを見かねた舒明天皇の皇子であった中大兄皇子が立ち上がり、中臣鎌足(後の藤原鎌足)と慎重に計画を練って、645年6月12日、皇居での儀式で入鹿を殺害し、そのことを知った蘇我蝦夷は自殺を図り、蘇我氏は滅びました。

 そして当時、唐(中国)と交流が深くその影響もあり、唐の政治制度を取り入れ、天皇中心の色々な改革を行いました。このとき初めて元号が用いられ日本最初の元号が「大化」とされ、中大兄皇子の政治改革を大化の改新と呼ばれるようになりました。この大化の改新ですが、正式な名称は「乙巳(いつし)の変」と言います。

 しかし、このころ朝鮮半島では、唐(とう)・新羅(しらぎ)の連合軍に、日本と交流があった百済(くだら)が滅ぼされ、中大兄皇子は、唐・新羅を倒すため、大軍を送りこみましたが、大敗し、その後中大兄皇子は、唐や新羅の力は巨大であると感じ九州などの守りを固めるようになったのが防人の始まりです。

 大化の改新をともに行った中臣鎌足ですが、その後病気になり、病気で倒れた中臣鎌足を、天智天皇がお見舞いに行った時、中臣鎌足に、最高の位である「大織冠(だいしょくかん)」と「藤原」の姓を与えられたのですが、この翌日、中臣鎌足は病気で死去してしまいました。

 平城京から平安京へ都が遷されその後、政治を司った藤原氏は中臣鎌足の子孫なのです。

 

 

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避難時は食事と健康に気を付けよう!

2019-09-24 07:37:24 | 生活情報

避難時の食事と健康を保つ方法!

 避難所生活では、配給物資の食料に頼って生活することになります。手に入る食料と不足しがちな食料を知っておき、なるべく栄養バランスがとれるように意識しましょう。備蓄食料も色々なことを想定して準備しておくことも大切です。

避難生活の食事は栄養が偏りがち

◎避難時主流になる食事は

 避難所の配給で配られるものは、保存食が高く配布しやすいおにぎりやサンドイッチ、菓子パン、お弁当、カップ麺など炭水化物が中心となっています。塩分の取り過ぎにも注意が必要となります。

◎避難時に足りなくなるもの

 野菜類や果物などの生鮮食品がどうしても食べられなくなりますので、ビタミンと食物繊維がどうしても不足になります。これらの物が食べられる時は意識して食べるようにし、栄養補助食品やサプリメント、野菜ジュースなどを備蓄することも必要です。

避難時の食事で気をつけたいこと

◎水をムダにしない調理を

 断水時には食器類は使い捨てのものを使う、皿にはラップやポリ袋をかけて洗いものを減らすなど、水をムダに使わない工夫が必要です。できるだけ水は飲料に使うようにすることが大切で、たとえば温かい汁物には食べた人に安心感を与え、水分不足を防ぐ効果もあります。

バランスよく食べることを意識しよう

 被災時の食事は炭水化物に偏りがちになります。また缶詰やレトルト食品は味が濃いものが多く、長く続くと食事自体が苦痛になってしまうこともあります。食物繊維や乳酸菌、タンパク質、ビタミンを含んだ食品を摂れるときはなるべく摂るよう心掛けましょう。備蓄食料にもサプリメントや乾燥野菜(野菜チップスなど)を用意しておくと安心です。

食欲がなくても食べられるものを確保しておこう

 被災時に配給される食事は味が濃いものが多く、環境のストレスも加わり食欲が落ちてしまいがちです。しかし食事を摂らないとそのまま体調不良に繋がることがあります。非常持ち出し袋や備蓄食料には、そのまま食べるだけで簡単にエネルギーと栄養を補給でき、保存性の高いビスケットやクッキー状の栄養補助食品(機能性栄養食品)などを準備しておきましょう。

胃腸の調子を保つことが、体調維持につながります

 避難所生活はトイレ環境が劣悪になり、排泄を我慢してしまう人が増えます。ここに水分不足や運動不足、偏った食事などの条件が重なり、被災地では便秘に悩むお年寄りや女性が多くなります。人に言いづらい疾患のため悪化しがちなうえ、栄養摂取の偏りを招き、深刻な状態になることもしばしばあります。食物繊維や水分を意識して摂取するなどバランスを保ち、身体を守ることを第一に考えましょう。

 


万葉集をわかりやすく解説

2019-09-24 07:02:41 | 地域と文化

作者 大伴旅人(おおとものたびと)  巻五  八二二番歌

 わが園(その)に 梅の花散る ひさかたの 天(あま)より雪の 流れ来るかも

訳:わが庭に梅の花が散る。天涯の果てから雪が流れ来るよ。

 

解説

 今更ですが、「令和」の出典となったのは、歌の由来を記す「序文」という漢文の中の一節です。この序文は、書家として著名な中国の王義之(おうぎし)の「蘭亭序(らんていじょ)」の影響があると言われています。永和九年(354年)三月三日、会稽山(かいけいざん)の北の蘭亭に文人たちが集い、曲水の宴が催されました。その時に詠まれた詩に付された序文が「蘭亭序」です。「梅花の歌」の序文には「蘭亭序」と似ている文言もありますが、旅人は「蘭亭序」の文章を模倣したのではなく、志ある文人たちが集い、理想の宴を開いたというその理念を受け継ぎました。「梅花の歌」が詠まれた宴です。

 その宴の主人が、大伴旅人です。旅人の歌は、天から雪が降ってきたかと見まがうような、純白の梅の花の散る美景を捉えた歌で、この歌は序文とも対応しています。序文には、中国には「落梅(らくばい)の篇」という詩があるといい、それに擬(などら)えて我々は「短詠」(短歌)を作ろう、とあります。この「落梅の篇」とは、古代中国の「梅花落(ばいからく)」という楽府詩(がふし)を指していると言われています。「梅花落」は、辺境に身を置く者が正月の梅花を見て故郷や家族を思うという内容で、都から離れた太宰府の官人たちの境遇と通じるものがあります。漢語では「落」は「散る」という意味であり、「梅の花散る」はすなわち「梅花落」を翻訳した言葉であると考えられます。旅人はこの「梅花落」の詩を理解し、さらに蘭亭のような理想の宴を、日本で実現させたのです。

 

万葉集ゆかりの木~梅の花~

 万葉集には梅の花の歌が沢山あります。奈良にも梅の名所が何カ所かあり、毎年賑わっています。その中でも知らているのが月ケ瀬の梅林です。

 万葉の時代も現在も同じで、初春を真っ先に感じることが出来る花と言えば「梅の花」です。梅の花の開花を合図に、桃の花が咲き、桜の花が咲きと春が深まっていきます。梅の花は春の足音をいち早く私たちに教えてくれる花です。

 月ケ瀬の中央には渓谷美を描きながら五月川が流れ、その両岸に梅樹が立ち並びます。これが「月ケ瀬梅渓」です。大正11年には名勝地として指定され、シーズンにはこの梅三昧の景色を目当てに、川沿いを散策する人が多く見られます。また、無数の梅が咲き競う姿にはまばゆさを感じながら、真福寺や天神社沿いの道を歩くのもよいです。見ごろは毎年だいたい同じで、2月中旬から3月です。詳しくはhttps://narashikanko.or.jpまでまた電話でのお問い合わせは、0743-92-0300(月ケ瀬観光会館)。

 

          

 

 

          

 

 

                

 

 

 

 

 

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在宅避難で気をつけること!

2019-09-23 07:41:05 | 生活情報

避難所を利用しないで在宅で避難するときは!

 在宅避難ではどんなことが困難になり、何が必要になるのかを知っておくためにも、念に1度は家族で「防災の日」を決め、電気・水・ガスを使わずに、家庭内の備蓄だけで生活してみましょう。備蓄食料の食べ方や非常用トイレの使い方も確認でき、1日、もしできれば2日ほど生活すれば、より具体的な災害時の生活をシュミレーションすることができます。

自宅で避難生活を送る時の問題点を知ろう

 都市部など人口密集地で災害が起きた場合は、大半の人が在宅避難生活になります。避難所に比べプライバシーを保つことができ、感染症などからも身を守ることができますが、電気や水、ガスなどのインフラが止まった状態で日常生活を送らなくてはいけません。電気やガスが使えない状態で灯りや冷暖房をどうやって確保するか、水道が止まっていたらトイレやお風呂、調理はどうすればよいのか、などの問題に直面しがちです。だからこそ、事前に在宅避難を想定した上での訓練と防災備蓄が重要となるのです。

排水は設備の確認が終わってから

 地震の際は目に見えない場所の下水管が破損している可能性があります。浴槽やトイレの水などは、排水設備の確認が終わるまで流してはいけません。集合住宅の場合は階下に水漏れや汚水あふれを発生させてしまうことが多くあります。管理会社のチェックが終わるまでは下水道は使用しないことが鉄則です。

水は近所の給水拠点からも確保を

 災害で断水となった場合、「災害給水ステーション(給水拠点)」が設置されます。どこに設置されるかは事前に各自治体の水道局などで公表されていることもあります。水を運ぶポリタンクも必要ですが、容量の多いものは水を入れると重くなり女性や高齢者は持ち運べなくなってしまうので、持てる重さを考えて準備をするようにしてください。

PTSDに注意しよう

 「PTSD(心的外傷後ストレス障害)」とは、災害時の恐怖や悲しみ、避難生活のストレスなどで体や心に変調をきたすことをいいます。例えば食欲減退や過食、息苦しくなる、不眠、倦怠感や目まい、災害時のフラッシュバックが起こるなどです。変調を感じたらなるべく他人に怖かったことや不安を話すようにしましょう。

 


万葉集をわかりやすく解説

2019-09-23 07:12:08 | 地域と文化

作者 中大兄皇子  巻一  一四番歌

 香久山と 耳梨山と あひし時 立ちて見に来し 印南(いなみ)国原(くにはら)

訳:香久山と耳成山とが争った時に、阿菩(あぼ)の大神が立ち上がって見に来た印南の国原よ。

 

解説

 この歌は、有名な大和三山の歌への反歌です。「香久山は 畝傍ををしと 耳梨と 相争ひき・・・」で始まる三山の歌では、神代に香久山・畝傍(火)山・耳成(梨)山が恋の争いをしたことがまず詠まれ、次いで、だから現実でも愛する者を争うのだ、と歌われます。作者は、「日本書紀」に数多くの記述がある中大兄皇子(後の天智天皇)です。

 三山の歌をめぐっては、香久山が女性で畝傍山・耳成山を男性とする説、畝傍山が女性で香久山・耳成山が男性とする説など、さまざまな解釈がありますが、恋の争いに関する歌とする点では基本的に一致しています。また、中大兄皇子が額田王という女性を弟である大海人皇子と争ったことを踏まえての三山の歌だという見解もありましたが、現在では額田王を求めて兄弟で争ったという説そのものが疑問視されています。「万葉集」には、複数の男性が一人の女性を争う歌がいくつかあるため、そういった類型の歌であるようです。

 反歌のこの歌では、香久山と耳成山が争った際、何者かが印南国原(現在の兵庫県加古川市・明石市の一帯か)まで見に来たとあります。だれが見に来たのかが示されていませんが、「播磨国風土記」に記される伝承が関係するかもしれません。そこには、出雲の阿菩大神(あぼのおおかみ)が三山の争いを止めようと播磨国揖保郡上岡里(現在の兵庫県たつた市神岡町か)までやって来たところ、三山が争いをやめたと聞いたので、その地に鎮座したとあります。中大兄皇子はこうした伝承を念頭に置いて、播磨国を旅する際などにこの歌を詠んだのではないかとも言われています。

 この歌を中大兄皇子が詠んだことが事実なら、奈良時代の風土記撰進の前に播磨国の伝承が王権に伝わっていたことになり、伝承の発生や伝播の過程に思いを巡らせたくなる興味深い歌群です。

万葉集ゆかりの地~香久山・耳成山・畝傍山~

 恋争いの歌に登場する香久山・耳成山・畝傍山を総称して大和三山と呼ばれています。橿原市を代表する景観であり、万葉集にも歌われる大和三山は、平成17年7月14日に国の名称に指定されました。古くから多くの和歌に詠まれた由緒ある景観であるだけでなく、現在でも広く親しまれている点が高く評価されました。

 また大和三山に囲まれた平野部分には、古代の都・藤原京の中心であった藤原宮が造営されていました。その際には、大和三山の位置が重要な立地条件になったと考えられています。藤原宮のあった場所は、現在、特別史跡藤原跡として保存されており、そこから大和三山へ優れた眺望が望めます。

大和三山とは

 橿原市にある香久山・畝傍山・耳成山を総称して「大和三山」と呼びます。

香具山(標高152.4m)

 多武峰山系から延びた尾根が、長い年月の中で浸食され、香久山の部分だけが残りました。風土記には天から降ってきたという伝承が残り、大和三山の中でも神聖視された山です。そこから「天の香久山」とも呼ばれます。

         

 

畝傍山(標高199.2m)

 大和三山の中で最も高い山で、死火山なのが畝傍山です。麓は神武天皇が宮をおいたところとされており、現在は橿原神宮や神武天皇の森、深閑とした雰囲気を湛えています。

                    

 

耳成山(標高139.7m)

 畝傍山と同じく死火山なのが耳成山です。耳成山は大和三山の中では最もバランスが取れた美しい形をしているとされています。

 

                    

 

 

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ペットも家族の一員です!

2019-09-22 08:15:42 | 生活情報

飼い主さんがしておきたい「最低限の備え」!

 避難直後は犬も猫もショックを受けているため静かですが、10日後くらいになると吠え始めるなどしてトラブルが増えるようになります。避難後は1週間を目安に一般の人と動物連れの人の住み分けを始めたいですね。しかし、現実はそうあまくありません。ほとんどの場合、避難所は人専用となっており、ペットは家族の一員と言われているものの、いざとなれば犬は犬、猫は猫というように扱われます。そのため、自動車で車中泊をされる方が多くいますが、これもあまり賛成できません。車の駐車スペースの確保や燃料などの確保も大変だからです。さらにエコノミークラス症候群による体調不良も起こってきます。

 こういったことで災害後は弱気になりがちですが、飼い主さんの元気がないと犬や猫達も元気がでません。街の復興でも友人のペットの世話を手伝うことでもよいので、飼い主さんが「まだ終わっていない!」という気持ちで目的をもって再び元気になることがペットの幸せにもつながります。

持ち出し袋は3つに分類!

外出先用の携帯ポーチ

 いつも家にいるとは限りません。季節に合わせて中身を入れ替えることが大切です。

ポーチに入れておくものは、ホイッスル(助けを呼ぶときに大切です。)・ライト・名前を書いた紙・携帯トイレ・防災手ぬぐい・カイロまたは冷却ジェルシート・ブランケット

同行避難用の持ち出し袋

 素早く逃げ出せるように軽さに注意しましょう。

備蓄品

 玄関など柱が多くて頑丈な場所に置いておけば、ひと段落した時に取りに戻ることができます。家族で置き場を決めて共有しておくと安心です。

ペットに対する備え

こんな準備も大切ですよ!

 安全な場所で飼育するし、ペットがいることを玄関などに表示しておけば、外出先で被災した場合に救助してくれる可能性が高いです。また、首輪や迷子札、マイクロチップを装備しておくことも大切です。また、自分のペットの写真を携帯しておく(スマホなどに写真を保存しておくのも良い方法)。避難所を事前に確認し、ペットも連れて行くことが出来るのか確認することも必要です。ペットを連れていけない場合は、避難中の預け先も決めておく必要があります。自動車での避難はあまり考えない方がいいです。なぜなら車がいつも使えるとは限りません。

しつけや社会化!

 人や他の動物を怖がらないように慣らしておくことが重要です。またトイレのしつけや、犬や猫の体を清潔に保つようにしておくことが大切です。ペット連れ込み可能と言っても、全ての人がペットが好きというわけではないですし、動物に対してアレルギーの方もいますのでそういった方達にも配慮が必要です。

 ペットには「待て」「おいで」「おすわり」「ふせ」などといった基本的な動作を教え、無駄に吠えないようにしつけることが大切です。これができなければ、野外で過ごさなければいけなくなります。また、予防接種や寄生虫対策は必ずしておいてください。避難生活では食中毒が一番こわい病気となります。

ケージやキャリーに慣れる!

 キャリーは避難時に、ケージは避難施設内で住み分けをする時に使います。これに慣らしておかないと他の人との共同生活となりますので、他の人に迷惑を掛けることになりますし、ペットを避難所から退出させることになります。初夏や初秋ならいいですが、真夏や真冬といったことも考えなければいけません。ペットと一緒に真夏や真冬に野外で過ごすとなれば体がもちませんし、体調を崩して余計に他の人(救助隊や医師・看護師)に迷惑をかけることになりますので、よく考えて行動してください。

ペットも家族の一員です。これは何も人と一緒にするということではなく、他の人に迷惑をかけさせない、掛けないという意味での家族の一員ということです。意味を履き違わないでください。我が家にも猫がいますが、キャリーやケージに慣れさせるようにしていますし、ペットの用のご飯やトイレ用の砂、飲み物を別のキャリーケースにして持ち出せるようにしています。

 避難所生活は人も大変ですが、犬や猫などのペットはもっと大変ですし、相当のストレスがかかると思いますので、そういったことにも慣れさせることも大切です。

 

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万葉集をわかりやすく解説

2019-09-22 07:28:09 | 地域と文化

作者 石上麻呂(いそのかみのまろ)  巻一  四四番歌

 吾妹子(わぎもこ)を いざ見の山を 高みかも 大和の見えぬ 国の遠みかも

訳:わが妻をさあ見ようという「いざ見」の山は名ばかりで、高々とそびえているからか大和は見えないことだ。いやこれも国遠く旅してきたからか。

 

解説

 この歌は持統天皇六年の伊勢行幸の際に、行幸に従駕した石上麻呂が詠んだ歌です。「いざ見の山」とは、東吉野村と三重県松阪市との境にある高見山かといわれます。「いざ」は相手を誘う語で、「見る」には男女が会うという意味もありました。高見山の標高は約1250mあり、冬には樹氷が見られることで知られてます。東西方面から見ると尖った山頂が見えることから、伊勢側から見て大和国が遮られているように感じたものと考えられます。

 「万葉集」には、この行幸の際のエピソードが注に詳しく記されています。中納言であった三輪朝臣(みわのあそん)高市麻呂(たけちまろ)が冠位を脱いで天皇に捧げ、農繁期の行幸は民を苦しめるとして諫めたが、天皇はこれを聞き入れず伊勢へ行幸した、というものです。

 「日本書紀」によれば、確かに三月三日に高市麻呂が持統天皇の伊勢行幸を諫めたこと、それを押し切って六日に伊勢に行幸したことなどが記されています。冠を脱いで天皇に捧げるとは職を辞する覚悟のほどを示しており、高市麻呂はこの後しばらく官職を解かれたといわれています。

 ただ、持統天皇は行幸を強行しただけでなく、行幸の通過地となった地域や随行した人びとの税を免除し、大赦を行うなどもしたと「日本書紀」にはあります。伊勢は壬申の乱において大海人皇子(後の天武天皇)を勝利に導いた神の坐す地であり、高市麻呂はその乱における功臣でした。だからこそ諫言(かんげん)を呈することができたのでしょうが、一方で天武天皇の遺志を継いだ持統天皇には、その諫言を退けても行幸しなければならない事情があったのかもしれません。

 石上麻呂は大友皇子側の忠臣として知られ、天武天皇や持統天皇にも重用されました。高市麻呂の話は、石上麻呂には直接関わらないのに詳細な注を付けるほど有名だったようで、「懐風藻(かいふうそう)」や「日本霊異記(にほんりょういき)」にもみえます。

 

万葉集ゆかりの地~高見山~

 奈良県と三重県の県境にそびえており、国道166号線の木津(こつ)トンネルを出るとすぐ視界に飛び込んでくる円錐形の山が高見山です。山の名が示すとおり、山頂からの眺望は絶景で、三重の山々や重畳と続く台高山脈を眺めながら、大峠から高見山への急な坂道を登ります。やがて朝日に輝く霧氷のブナ林に入ると、この山の本当の魅力が分かります。厳冬期には霧氷をまとってその雄姿を一段と美しく見せています。

 高見山は、神武天皇の東征伝説が残っており、歴史的にも興味深い山で、この歌にも詠まれているように幾つかの歌に登場する山です。また、伊勢行幸の際には必ず通らなければならない山でもあるのです。

 山頂付近のなだらかな道は笹と灌木に覆われています。国見岩、揺(ゆるぎ)岩といった、いわれのある岩や好展望の笛吹岩など、見所にも事欠かない山です。初夏なら、山頂のブナの新緑、アシ谷の林間を流れる清流が美しく、ガクアジサイ、コアジサイが山道を彩ってくれます。また、下平野道の台地には避難小屋や樹齢700余年といわれる高見杉があります。

 登山コースは杉谷から登るものが最もポピュラーですが、ほかに平野から登る道や大峠から台高山脈の明神岳へ縦走するコースもあります。高見登山口から山頂まで2時間30分くらいです。また山頂から下平野までは1時間50分くらいの距離です。

 

          

 

                     

 

             

 

             

 

             

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


避難所生活で何を気を付ければいい?

2019-09-21 20:54:58 | 生活情報

避難所生活で気を付けたいことは?

 避難所生活において体調などに気を付けなければ「災害関連死」を招く恐れがあります。「災害関連死」とは、建物の倒壊や火災、津波などの直接的な災害による被害ではなく、避難生活での体調悪化や過労など、間接的な原因で死亡することです。

 復興庁の統計によると東日本大震災の震災関連死者数は、2018年12月時点で3,710人となっていますし、2016年の熊本地震ではピーク時183,800人が避難生活となりましたが、216人が災害関連死で亡くなれました。避難生活を劣悪な環境にしないためにも、事前の備え重要となってきます。

体を動かし、避難所運営には積極的に関わろう!

 多くの人が1つの空間にいることになる避難所では、プライバシーが保てないストレス、気温の変化、睡眠不足、栄養の偏り、感染症など、さまざまな環境要因で体調を崩しやすくなります。また、内閣府の定めによると避難所で受け入れる避難者数は約3.3㎡(畳2畳分)当たり2人という基準がありますが、都市部では過密状態になることが想定されます。また、狭い空間で長時間同じ姿勢でいることはエコノミークラス症候群などさまざまな疾患の要因となります。なるべく軽いストレッチや体操などで体を動かすことを心がけましょう。また、元気で動ける人は避難所の運営や手伝いに積極的に関わりましょう。

「睡眠」の質を高める基準と工夫を!

 避難所で起こる体調不良の大きな原因の1つが「睡眠不足」です。二次持ち出し袋の中にアイマスクや耳栓を入れておくなど、なるべく睡眠はしっかり確保できるよう工夫をしましょう。また、厚手の靴下を履いて足元を温めると眠りやすくなります。

水分補給を意識しておこう!

 避難生活では血栓が肺の静脈に張り込んでしまうエコノミークラス症候群が多発します。加えて、トイレを我慢するために水分補給を控えることで、脳梗塞などの疾患をひきおこしてしまうこともあります。避難所の食生活は水分が少ないものになりがちですので、意識してこまめに水分を補給するようにしましょう。

車中泊では「道の駅」が拠点になることも!

 災害が起こった地域によっては、避難所よりもプライバシーが保ちやすく、ペットとも一緒に居られるので、車中泊を選択する人が多くなります。その場合、地域の「道の駅」が拠点になることもあります。事前に地元の道の駅が防災拠点化されているか調べておくと安心です。

 

 


万葉集をわかりやすく解説

2019-09-21 08:32:52 | 生活情報

作者 柿本人麻呂  巻一  三七番歌

 見れど飽かぬ 吉野の河の 常滑の 絶ゆることなく また還り見む

訳:見飽きることとてない吉野、その川の滑らかさが永遠であるように、いつまでも絶えることなく、くり返し見よう。

 

解説

 この歌は、柿本人麻呂が吉野行幸にお供した際に詠んだ歌です。この歌は持統天皇時代の部分に収録されており、持統天皇は吉野へ三十回以上も行幸した記録が「日本書紀」にあるため、持統天皇の吉野行幸の時の作であると考えられています。左注では、「日本書紀」から持統三・四・五年の計6回の行幸の記事を指摘しますが、どの時の作かは不明であるとしています。

 人麻呂は、吉野行幸の歌を二組の作品に残しており(巻一・三六~三九番歌)、今回の歌は一組目の長歌の反歌です。長歌では、天皇が統治する天下の中でも吉野の山川は清らかであり、天皇はそこに立派な宮殿をお造りになり、臣下たちは朝夕に川で船遊びを楽しんでいる、その吉野の宮殿(滝の宮)はいつまでも見飽きないことだ、と詠まれています。宮殿をほめることは、その主である天皇への賛美となります。続いて詠まれた反歌(今回の歌)では、「見る」ことが繰り返し詠まれています。これは「見る」ことによる呪的な力により、吉野の素晴らしい自然を賛美し、そこに築かれた離宮と天皇の御代が末永く続くことを願う内容です。それは人麻呂個人の心情というよりも、この行幸に参加した人びとの思いの代弁であったと思われます。

 吉野の山や川が取り立てて詠まれるのは、儒教の「山水仁知」の思想によるものと考えられています。山水の地を遊覧することは、儒教的な徳を身に付けることであるという思想です。さらに吉野は、老荘思想により神仙境に見立てられた場所でもありました。持統天皇の度重なる吉野行幸の理由についてはさまざまな説がありますが、神仙境である吉野を訪れることで、神仙の不老長寿の力を得ようとしたのではないかとも考えられています。

万葉集ゆかりの地~吉野の地~

 吉野と言えば吉野山の桜を思い浮かべる方がほとんだと思いますが、吉野山は春の桜も良いのですが、秋の吉野山もモミジや桜の紅葉がとてもキレイでいいですよ。春とは一味違った趣があります。

 秋になると山々は紅く染まり、社寺仏閣巡りをしながらハイキングも楽しむことができます。秋になると空気感が変わり、爽やかな風が頬をつたってきます。

 秋は春の淡い桜色とは対照的に燃えるような赤、黄、橙色に染まる秋の吉野山は、紅葉のシーズンになれば山全体が覆われ、とても見事な光景となります。ロープウェイからの眺めも絶景で、夜はライトアップされており、これもまた神秘的で楽しむことができます。

 

 

         

 

 

         

 

          

 

          

 

 

 

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震災直後のNGな行動!

2019-09-20 10:24:27 | 生活情報

地震直後にしてはいけない行動とは!

  地震直後は何が起こるか分かりません。安全が確保されるまで動かないのが一番よいのです。そこで、してはいけない行動をピックアップしてみましたので、よければ覚えておいてください。

電気をつけたまま避難しない!確認しないでブレーカーを上げない!

 地震時の火災で一番多いのが電気設備機器による「電気火災」です。東日本大震災の際は、発生した火災の過半数が電気火災というデータもあります。停電から復旧した際、ストーブやドライヤーなど熱を発生するものや、傷ついた電気ケーブルへ急に通電されることで火災となります。避難時はブレーカーを落とし、戻すときは機器の安全を確認してから通電を開始するようにしましょう。

火を使わない!

 地震直後は粉じん、倒壊した家屋など燃えやすい物が多いため、火気厳禁です。消防車も来られない状況が多いため、とにかく火災を出さないことを心掛けましょう。裸火を使わないようにし、ロウソクは使わないこと。火を使う場合はカセットコンロや石油ストーブなど、余震が生じた際にすぐ消せるか自動消火機能が付いた器具を使い、管理できる状況で使用するのが望ましいです。

1人で救出活動を行わない!

 自分の身の安全が確保できたら、家族や近所の方達の安否確認をすることも大切です。しかし、自力脱出困難者を見つけても、一人で救出するのは危険をともないます。自分だけで助けようとせず、大声で周囲の人に協力を求めるようにして下さい。

エレベーターで避難しない!

 建物内で地震に遭遇した場合、揺れが収まったあとにたとえエレベーターが動いていても、目に見えない故障やその後の余震などで閉じ込められる恐れがあります。そのため、避難するとしてもエレベーターは絶対に使用しないことが鉄則です。業者の点検が終わるまでは乗らないようにしましょう。万が一閉じ込められた場合は、非常用電話などで助けを求めましょう。

水の中を歩かない!

 「浸水が始まっている場合は移動しないこと」が鉄則です。特に長靴が浸水する深さの屋外移動は危険です。泥水により足元が見えないため、釘などの危険物を踏み抜いたり、蓋が開いたマンホールへの落下など多くの危険がともなうためです。また、急激に増水した水に足をとられ、流されてしまう危険もあります。

これらのことを念頭においていただき、万一地震など災害に遭遇しても慌てずに冷静に行動するように日頃からシュミレーションしておいてください。