米兵たちが英語レッスン…宮城
石巻 貞山小
在日米陸軍による英語の授業に参加した子供たち(26日午前、石巻市立貞山小学校で)=長沖真未撮影
宮城・石巻市立貞山小学校で26日、在日米陸軍が米国文化や自身の活動を紹介する英語の授業を行った。
日米友好を象徴して「SAKURA CLASS」と命名した授業には全校児童約250人が参加。同小でがれき撤去や校舎清掃を行った米軍兵ら約15人が、米軍の仕事や制服などを英語と日本語で紹介した。「どのぐらいの水を運んだのか」との児童の質問にジェームス・レリー大尉(34)が「1万人分のシャワー用の水をキャンプ座間から運んできた」と答えると、驚きの声も
子供たちは大型トラックに乗り込んだり、肩車をしてもらったりして喜んでいた。1年生の高橋拓英君(6)は「家に水が入って大変だったけど、たくさんの人が応援してくれていると分かったし、楽しかった」と話した。
(2011年4月27日 読売新聞)
米軍が被災児童激励=大型トラックなど披露―宮城
2011年4月26日
東日本大震災を受け「トモダチ作戦」を展開する在日米陸軍の兵士らが26日、宮城県石巻市の貞山小学校を訪れ、子供たちに米軍の活動について紹介した。新たなスタートを応援したいという願いを込め「SAKURA CLASS」と名付けられた授業は2学年ずつ行われ、同小のがれきを撤去した米兵7人が通訳を介し、分かりやすく説明した。
youtube
在日米軍、石巻市の小学校で英語の授業
子供が好きそうな兵隊さんたち。1人の米兵の日本語は完璧。
在日米軍に対する賛否は別にして、こうした活動には素直に感謝したい。
素直にといえば、
金妍児さんが賞金寄付
2011.5.1 1
こちらも素直に感謝したい。
テレグラフ
Ace, De Niro and Calimero become cult favourites of Japanese nuclear crisis
3:24PM BST 28 Apr 2011
東電の黒田光という人が話題になっている、と。
ググると、
黒田 光
一部で話題になっているようではある。
が、マイナーネタじゃないかね?
テレグラフのネタは2ちゃんとか有道ブログだろうか?
[歳川隆雄「ニュースの深層」]
米国テキサスの「自走式巨大クレーン」を借りなければ福島第一3号機の危機を回避できない
いま一部に東京電力の「無限責任」を言い募る向きがあるが、現下の非常事態を乗り切るのには東電一社では不可能だ。国の全面的な支援による危機打開が唯一の選択肢である
3号機の状況について真相かどうかはわからないが、この結論は賛成。
2011年04月29日 (金)
官房参与が辞任・記者会見資料を全文掲載します
NHKかぶん
これに対して安全委員
共同
「やり方として妥当」
法律によるものではなかっった。
すでにディスカッションは行われていた。
重視することについて委員のコセンサスはできていた。
1)ICRPの基準をつかうこと、
2)線量を低減させる努力をする(20mSVぎりぎりでいいというわけではない)
3)モニターリングをやる
こういった条件のもとでゴーサインをだした、と。
これはこれで説得力はある。
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更新
枝野官房長官会見
「これ、繰り返し過日も申し上げたが、被曝限度を20ミリシーベルトとするということで指示をしたのではないと。1つの基準、指針としてグランドレベルの、法定の平均した放射線量が毎時3・8マイクロシーベルトだと思うが、これは単純に通常の他の場所、つまり飯舘村などのように1日6時間、その屋外にいて、1日中6時間、木造建物にいるという想定で、年間の累積被曝量がどれぐらいになるかというと、毎年20ミリシーベルトとなるという、同じ考え方に立つわけだが、今回の学校などについて問題になっている地域は飯舘村などと違って、地域全体がエリアとして、そうした地域にあるわけではなくて、周辺地域はむしろ、それよりずっと低い放射線量であると。例えば学校の敷地の中については、それぞれ問題のある地域、具体的に調べており、屋外であってもアスファルトなどのところについてはおおむね半分程度であると。それから学校の場合、屋内についてもしっかりと調べて、ここは10分の1程度であるということ。なおかつ、その基準を超えているところについては、校庭の利用を1日1時間程度に抑えてくださいというようなことも併せてお願いしている」
「つまり到底、年間20ミリシーベルトに達するような状況ではないということが、まず大前提にある。なおかつそれについては、実際の実績としての放射線量を、教師の方に線量計を付けてもらうなどしてしっかりと把握し、なおかつ今後、放射線量は原発のプラントの状況が悪化しない限りはこの間も暫時、減っていっているし、今後も一定程度、減っていくことが見込まれているので、そうしたことをトータルすれば、到底、20ミリシーベルトには達しないと、大きく達しないということを前提に、安全性の観点から問題ないという指針を出しているということだ。そこについては十分な説明がしきれていない、説明が理解を得られていないということについては、さらに努力をしなければいけないという風に思っているが、決して、20ミリシーベルトまでの被曝を認めているわけでも、それに近いような高いレベルの被曝が予想されるわけでもないということは、ご理解をいただきたいと思っている」
「なお関連して、小佐古(敏荘)先生がいろんなご意見をおっしゃっている。今回の学校の校庭については、非常に厳しい水準にするべきではないかというご意見で、それが受け入れられなかったというご主張のようだが、逆に、この間には、例えば3月28日には乳幼児を含む牛乳や飲料水などの基準値を『むしろ3000ベクレル、ヨウ素の場合で3000ベクレルでいいんだ』というご提言をいただいた。これは安全委員会などの判断で『いや、300ベクレルが基準だということで、より低い、つまり、特に乳幼児をはじめとして、より低い線でやるべきなんだ』ということで、『より高くていいんだ、緩やかでいいんだ』という申し入れを、逆に全体としての判断として、安全委員会などがより低い判断をしているところがある。専門家の皆さんのご意見も、こういった意味ではいろいろある。ただ、そうした中で安全性を優先しながら、それぞれ判断しているということはご理解をいただきたい」
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保護者とすれば、最大限安全な環境を与えたい。この環境で、例えば、必ずガンになるとは限らないし、ならないとも限らない、なったとしても、この学校にいたからなった、とはわからない。
それでも、仮に子供がガンになった場合、あのとき、転校させておくべきだった、という思いが生じるということもありえる。そういった心理的な問題であろう。
割り切れる保護者、あるいは、他の事情を考えれば、転校させたくない、あるいは転校させることができない保護者もでてこよう。
難しい問題ではある。
しかし、仮に政治家がこれに反対するなら、政府に反対すると同時に、政府とは独立に、代替の学校の斡旋、それができる環境整備まで独自にすべきであろう。でなければ、子供や保護者のためではなく、政局のためにだけ言っていると思われても致し方あるまい。
他方、
2011年05月01日 10:25
酒やタバコは放射線より恐い
いま被災地で問題になっている程度の微弱な放射線はごく弱い発癌物質の一つにすぎず、それを他の健康被害と比べて特別扱いする理由はない。子供の健康を心配するなら、運動場が使えなくて運動不足になるほうがリスクが大きい(1.15倍以上)
という意見もある。
今回の処置に関して言えば、線量よりも、校庭が使えなくて運動不足になることによる健康被害のことを心配したほうが、いい、という意見である。
もう一つ池田信夫ブログ
原発の安全性と経済性についての数字
原発のコストは火力といい勝負だ。
事故の補償費用を含めても大差ない、と。
ということなのだろう。
ただ、安全面と経済コストという点で、そこそこいけるとしても、今回の避難民への対応をみていると、仮に安全性・危険性に納得し、また、経済的に後でお金で補償されても勘弁してくれよ、という住民も多いのではないか。
自分が彼等の身になって考えてみても、
避難しろといっても避難する場所の斡旋がない。
地域社会の解体
補償される人、範囲が明確ではない。
というのは大きな問題である。
原発事故はないという、説明はもうできない。
カナダ、原発議論が白熱 大都市から1時間、10基運転(1/2ページ)
2011年5月1日16
海外では、日本の特殊性を強調して、維持・推進するのかもしれないが、問題は、日本の、あるいは、福島原発の特殊性ではなく、原発の事故は地震・津波がなくても起きえるし、起きたときの心理的・社会的・経済的・国際的影響が巨大である、ということであろう。
原発周辺住民は、少なくとも上記のようなことについて、明確な計画、説明を求めていくべきだし、運営者側もこうしたことについてしっかりとした計画・説明をしていくべきだ。
震災と日本人 倫理学者 竹内整一
連載(11) 家を流されても出なかった涙、お祭りを見てはじめて出てきた
2011/4/30 13:00
やまと言葉の「かなし」とは、その「カナ」が「…しかねる」の「カネ」と同じところから出たものであり、何ごとかをなそうとして「しかねる」張りつめた切なさを表す言葉である。その切なさが切なさとしてあらためて感じ取られてきたということでもあるのだろう。
「かなし」には、古くは「愛(かな)し」という用法もあり、そこには、「どうしようもないほど、いとしい」という意味が込められている。「かなしみ」とは、大切な何ものかを失うという喪失感情であるが、それが「いとしさ」「切なさ」として形をとらないところでは、涙を流すこともむずかしい。・・・・・
元気や勇気は「かなしみ」の内から湧いてくる
「やりきれない」という言葉があるが、「やりきれない」とは、そうした堪えがたい思いをどこにも「遣る」ことができない、だれにも受けとめてもらえないということである。「やる瀬がない」も同じである。思いを遣って受けとめてもらえる「瀬」、場や人がいない、ということである。女性に涙を流させたものは、「遣る」ことのできる場や人のあることの再発見ということだったのかもしれない。
もう一点、大事なことがある。それは、この「かなしみ」が漁師の安全祈願という祭りの場でもあったということの意味である。神も仏もいないかのような大災害を被ったこの時にあえて催されたこの祭りには、何ごとかをなそうとして「しかねる」人間の有限性と無力さと、それだからこそなお、祈り願わざるをえないという人間存在の「かなしみ」が色濃く込められている。「かなしみ」には、それを「かなしむ」ところにおいて生きる新しい力が湧いてくるという不思議さがある。
なるほど。
ロシアトゥデイ
Serving to death in the Russian army
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Published: 30 April, 2011,
ロシア軍隊のしごき、いじめ
ガーディアン
Apple's Chinese workers treated 'inhumanely, like machines'
Investigation finds evidence of draconian rules and excessive overtime to meet western demand for iPhones and iPads
Gethin Chamberlain
guardian.co.uk, Saturday 30
アップル社による中国の労働者の酷使