Kennyのブログあれこれ

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立川談志

2011-11-25 15:16:28 | 日記
11月25日(金曜日)晴れ ガラス越しは暖かい。


回文です ”だんしがしんだ”
大きい反響で連日、立川談志さん死去の報道が・・・

桂三枝さんの涙が、影響力の大きさを感じる。
新聞記事に・・・・

  69歳の誕生日である来年7月16日に「六代桂文枝」を襲名する三枝だが、
  大名跡を継ぐことを思い悩んだ末、唯一相談した相手が談志さん。


  昨年、入院中の談志さんに面会した際、
  「せっかく三枝を大きくしたのだから、続けるべきだ」と反対されたが、
  その後襲名を決めたことを伝えると、
  直筆のファクスで
  「人生成り行き 三枝より文枝の方がよくなったのか ぢゃあ仕方がない 
   勝手にしろ 三枝のバカヤロウ」
とゲキを飛ばされた。
   三枝は今年7月の襲名発表後も「見舞いに行きたい」と話していたが、
   この言葉が“遺言”となった。
「襲名の口上に並んでいただくことができなくなった。
 本当に残念でなりません…」
 最後まで三枝の涙は止まらなかった。
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 20代後半で真打ちに昇進するなど才気にあふれた古典落語家として活躍した。
 1966年5月から69年11月まで日本テレビ系「笑点」の
 初代司会者として人気を集めた。

 その一方、痛烈で毒のある言葉で“反逆児”としての姿勢も貫いた。
 83年には真打ち制度をめぐって、柳家小さん会長率いる落語協会と対立し脱退。
 立川流を設立し、自ら家元を名乗って後進を育てた。

 タレントのビートたけし(64)や放送作家の高田文夫氏(63)ら“本職”以外 の 弟子も多数いた。
 99年には落語中に居眠りをした男性に気づき高座を中断したこともあった。

 戒名は生前から自身で決めていた
「立川雲黒斎家元勝手居士(たてかわうんこくさいいえもとかってこじ)」
 ユーモアとともに天国に旅立って行った。
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メモ

立川談志、1936年1月2日生まれ。
東京都江戸川区小石川出身。
5代目と自称。
有限会社談志役場(松岡慎太郎社長=談志の息子)
「立川企画」(松岡由雄社長=談志の実弟) 等

身内で一門のマネージメントを担う。
娘は銀座クラブホステスの松岡弓子(元バラエティタレント)ママ。

古典落語に広く通じ、現代と古典との乖離を絶えず意識しつつ、
長年にわたって理論と感覚の両面から落語に挑み続けている。

古典落語を現代的価値観・感性で表現しなおそうという野心的努力は
評価されているが、古典本来の持つ格調高さを損なう場合も有る。
落語のほか講談、漫談をも得意とするなど、芸域は広い。
自ら落語立川流を主宰し、「家元」を名乗る。

出囃子は『木賊刈』。

5代目三遊亭圓楽、3代目古今亭志ん朝、5代目春風亭柳朝
(柳朝死去後は8代目橘家圓蔵)と共に落語四天王と呼ばれた。
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天国に行ったか?未だ草葉の陰にいるか?
イヤ勝手気ままにアッチコッチかなあ~!