11月3日(木)夕
1日に行った最後の岩宿史跡を記載しておく。
旧石器時代にもこの日本に人が暮らしていた痕跡の石器を発見したところ。
と理解しておく。
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第2次世界大戦の頃までの考古学者は、
発掘を進めて赤土(関東ローム層)が出るとそれを「地山」と呼び、
それ以上掘ることはありませんでした。
土器を使っていた縄文時代(世界史では新石器時代にあたる)の人々が
日本の最初の住人だと考えていたからです。
この考古学・日本史の常識を覆し、日本にも世界史でいう
旧石器時代段階に人々が生活していたことをはじめて明らかにしたのが、岩宿遺跡です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/49/5d/b9a93e9e624a66d62b96410050f822f1_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/40/6d/8981fcb94ed176c9b33361986a174a70_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/5b/c9/9b89fb24f8ec16e94e21bcf634c88086_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/36/bd/85b3ca74a84d6dac1a0cc4d6b4d8f035_s.jpg)
相沢氏の像など撮影
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(参考)岩宿博物館ホームページから
岩宿遺跡は、群馬県みどり市笠懸町阿左美地内の
琴平山・稲荷山という小さな丘陵が接する部分
に位置しています。
1946年、切り通しの道となっていた岩宿遺跡を通りかかった
相沢忠洋は、切り通しで露出していた赤土(関東ローム層)から、
石器を発見しました。
相沢はその後も、何度となくその崖を調査し、
赤土の中から次々に石器を見つけましたが、
土器が伴うことはありませんでした。
当時は、1万年以上前の火山灰でできた関東ローム層の時代には、
ヒトが住めなかったといわれていましたが、
自分が確かめた事実を信じ、
1949年の夏、ついに誰が見ても疑いようのない黒耀石の石槍を発見しました。
この発見は、いち早く東京の学者に知らされ、
相澤さんと明治大学が岩宿遺跡を発掘調査をすることになりました。
1949年9月11日、岩宿の丘に立った発掘調査隊は、
それまで未知の地層であった関東ローム層に挑み、
ついにその地層の中から石器が出土することを確認しました。
その後、その年の10月、翌1950年4月にも発掘調査が行われましたが、
こうした一連の岩宿遺跡の調査によって以下のことが明らかとなりました。
その当時、最も古いと考えられていた縄文時代の土器が
やや離れたC地点から発見されましたが、
それらは関東ローム層より上の黒土に含まれていましたので、
ローム層から発見された岩宿遺跡(A・B地点)の石器は、
明らかに古いことがわかりました。
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最初の発掘調査で出土した石器(所蔵:明治大学博物館)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/82/c5479bf47e319708f68314695ff9d4b2.jpg)
岩宿1石器文化(約3万年前)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/6b/1463f1657d9c6aed1607a1fc37bc4fea.jpg)
岩宿2石器文化(約2万年前)
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そして、土器を伴わず、石器だけが発見されるため、
縄文時代とは違う時代のものと考えられました。
また、発掘調査によって関東ローム層中に層を違えて2つの石器群が発見されました。
少なくとも約3万年前(岩宿I石器文化)と約2万年前(岩宿II石器文化)
の時期があることがわかり、早くもこの時点で、岩宿遺跡の時代に異なる文化の段階があり、 その岩宿時代が長い時期にわたっていたことが予想できました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/db/835065a2a9bda91a3801788915fb08a3.jpg)
岩宿遺跡(A地点)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/e3/8335bcae6cd43de9371a005c940a5d07.jpg)
全景 中央が博物館
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夢を追いかけてそれが発見につながった時の
喜びとは、いかがなものか!なあ~。
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その後、発見のあった丘陵の一つ琴平山(192M程度)に
登ってみた。下から地元の方が来たので見晴らし台があるよ!と言われて
ついて行った、確かに見晴らしは良い。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/cb/3bd9e688645f98f29efacdfff9f5277e.jpg)
すぐ下をR50号が通る。
雑談する中で、お互いに共通する人物を知っていて仲良くなった感じだ。
Kさんと言う方でK市の高校の先生を長くやられていたらしい。
最近、出かけた先で初対面の方と話をすることが多く
色々、教えてもらえて参考になる。
帰り道は通勤帰りの車で混み始めた。
でも1日は盛りだくさんのドライブでした。