稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

№100(昭和62年10月31日)

2020年03月18日 | 長井長正範士の遺文


真剣勝負をしています。これが本当でしょう。又少し横道にそれましたが大事なことなので敢えて申し上げました。

次に日本剣道形の四本目、後の先で勝つ技ですが、八相、脇構から相打ちの瞬間、本能的に両剣がピタッと合ってしまうところ、これを一刀流の見地から申し上げますと、両者半身の八相、脇構から大きく振りかぶって面を打ってゆくのでありますが、この時は自然の勢いで両方の刃は真下でなく稍々左下になり、ハッとした瞬間、本能的に互いの左鎬で持ち合う漆膠の付となります。

これではどうにもならず両者鎬を削るような手の内で相手の意に即し(即意付で)乍ら、ずーっと正眼になり、云々・・・(以下省略)となっており、この理合を深く考えず、ただ漠然と大きく振りかぶり互いに正面を真向から刃を真すぐ下にして打ってゆき、互いに自分の調子で両者の頭の線上で止めており、そのまま中段のところまで下げている方をよく見かけますが、若し両者真すぐ刃を下にして打ち合いしたら、どちらもズバッと頭を本当に斬られています。だから自分の意志でとめているので、これでは形の理合に当てはまりません。このような斬り結んだ瞬間「カチッ」と鳴るところ、どんな古流の形でも皆同じく理合整然とした技になっておりますので、以上説明いたしましたところよくよく吟味体得して頂きたいのであります。

尚、蛇足ですが小野派一刀流の正眼の説明(一刀流極意の558頁にあり)で正眼を中段ともいう。と書かれていますが、これは上段、中段、下段と、はっきり区別したために正眼を中段に今は統一されていますが、厳密に言いますと一寸違うのであります。即ち構えた時の足は右足前、左足あと、従って右肩は自然に稍々前、左肩も自然に稍々後ろになっておりますので、自分の中心の「へそ」も少し左の方により、竹刀を握った左拳もそれに従って、稍々左の方になり、その状態で剣先を相手の左眼に向って構える。これを正眼と言っております。

この正眼で構えますと相手から一番近く斬られる右手を自然にカバーしている事になります。これ又人間の己れを守る本能から出た構えでありましょう。我々の竹刀剣道の構えもこの正眼でなければなりません。中段は日本剣道形の二本目の構えで剣先を真すぐ相手の咽喉元につけての構えでありますから、打太刀は真すぐ上から下で刃を下にして仕太刀の小手を打つことが出来るわけで、若し正眼なら打太刀は、かつぎ技のような格好で、斜め左の方から小手を打ってゆかねばなりません。(一刀流の裏切りの形は仕太刀が正眼でありますから打太刀はこのような打ち方をするのです)

もう少し説明しますと、両者中段でそのまま突き進むと互いにグサッと突きさされます。そうした中段の構えから二本目の形が構成されています。これからあと七本目までの剣道形は晴眼となっております。なぜみな中段と書いてないかお判りになりますように正眼(日本剣道形は晴眼、各流派によって、おなじ「せいがん」でも清眼、精眼、晴眼、青眼、星眼、等々書き表わし、夫々その構えの精神を言っている)で互いに突き進むと剣と剣がクロスしてグサッと突きさされません。これが前述のように人間の本能からくる自然体の構えであると思います。

又七本目の相晴眼で進んで打ち間に入った時の打太刀の胸部の突き方が仕太刀の剣を己れの左鎬で押え乍らグッと摺り込んでゆかなければ仕太刀の胸を突くことが出来ない理合がここに成立いたします。即ち打・仕共に晴眼で攻め進んでゆくところに意義があるのです。そして双方の剣先が稍々上がったところから相晴眼になるまでの漆膠の付の所大変大切なことは前述の項でよく味って下さい。以上で隋(ずい)を説明するため即意付、浮木をご説明申し上げ、これを通じて日本剣道形の要所を述べ一応これで終りたいと思います。次は№101から「機」ということについて申し上げたいと思っています。以上
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