大悟の試合はこれまで何百試合と見てきましたが、共に歩いて来た約15年の柔道人生の中、初めての出来事がありました。
それは試合後、大悟が観覧席の自分に向かって、初めて笑顔で拳を上げたんです。
これが本当に初めてのことだったんで、妙に嬉しく感じました。
小学生の頃の大悟は、優勝しても顔色一つ変えず、戦うマシーンのようでした。
負けると当然厳しい練習が待っていましたが、勝った時にも誉めることはなかったので、大悟にとっては一つ一つの試合が苦痛だったと思います。
また、道場の改革に力を入れ始めた頃には、組織の船頭をする私は更なる鬼となり、常に我が子である大悟を見せしめとして厳しく指導し、後輩や弟達に、泥臭く努力することの重要さを伝える役目を務めて貰いました。
これまでも書いてきましたが、大悟の礎なくして、一時代を築いた二見は100%なかったと言えます。
どれだけ大悟を犠牲にして、どれだけ心を鬼にして指導してきたか分かりません。
同じ時代を生きた方だと、きっと頷いてくれるでしょう。
だから、そんな大悟が現在まで柔道を続け、笑顔で私に拳を突き上げた姿を見て、嬉しく思わないわけがないのです。
爆発力のある柔道ではないので、なかなか強さは感じませんが、ずっと見てきた私には分かるんです。
これまで地味にコツコツと努力を積み重ねてきた成果が少しずつ現れており、一線級の相手選手とも戦えるようになってきました。
この力を中学生ぐらいで手に入れる者もいたら、大学生になってようやく摑もうとする者もいて、後者になれば長く苦しい時期を過ごさなければなりません。
昨日、試合を終えた大悟と握手をし、
お前のような人間は努力することをやめたらあかん。続けろ。続けなあかんぞ。
と言うと、
分かっとる。
と言っていました。
これからもきっと泥臭くやってくれるでしょう。
昨日は興奮とやや体調不良で眠れませんでした。
しかし、今から大和の練習です。
明日は広島での試合が待っているので、しっかりと調整したいと思います。
昨日は昨日、今日は今日。
さ〜夙川へレッツゴー。
幼い頃から素晴らしいライバルに恵まれ、切磋琢磨させて貰ったおかげであると感謝しています。
またいつか同じ畳の上で一緒に練習をさせて貰い、写真を撮れることを楽しみにしています。
ありがとうございました。