穏やかな晴天の日、家内は友達とお出掛けです。私は美術展を観に行こうかと思案しましたが、春のような日差しに誘われて歩くことにしました。
やってきたのは柳川の沖端(おきのはた)です。昨年来た時は、ここから川下りのコース沿いを歩きましたが、今回は沖端界隈をぶらりと散歩することにしました。前回の記事はこちら。
向こうに見える横断幕は柳川出身の琴奨菊関の優勝を祝う幕です。
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当地で「子の日の松」の行事がありました。
この行事は松の苗を高良大社に奉納するもので、社殿の裏山に植えます。元々古い時代から、この地域の松苗を高良山に植えていたようです。地元の歴史に関する本を読むと、高良大社縁起にはこの地域で三人が松の苗を持っている絵が描かれ、「子日松」と記されているそうです。随分古くからの行事のようです。
明治に入って長らく行事が絶えていましたが、平成12 . . . 本文を読む
以前は冬になると街角で見かけた。流していたようにも思うし、同じ場所にいたようにも思う。
そう云えば子どもの頃、近所の家で土甕の内側に金属のフックで芋をつるし、焼き芋を作っていた。お八つ代わりによく買いに行ったものである。孫たちも好きでよく家で焼くらしい。安納芋という品種が甘いと評判である。
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日曜日に久留米成田山の節分豆まきがありました。孫と一緒に出掛けましたが、豆まきは初めてです。
成田山久留米分院です。昭和33年に成田山新勝寺から勧請されました。高さが62mもある慈母観音像などは後に建てられました。ご本尊は不動明王だそうですから密教ですね。先日、禅宗の梅林寺に行ったのですが、同じお寺さんでも雰囲気が全然違います。
豆をまく年男、年女 . . . 本文を読む
有馬21万石の久留米城址に行きました。
久留米城は地元では篠山城と呼ばれ、小丘の上に立つ平城です。豊臣秀吉の九州平定後は毛利元就の末子、小早川(毛利)秀包がこの地に封じられて居城としました。小早川はキリシタン大名で、城下には7千人の信徒がいたといわれます。
しかし関ケ原の合戦で西側に組したため改易され、一時田中吉政が柳川城の支城としました。1621年、有馬豊氏が丹波福知山から転封されて以 . . . 本文を読む
文筆家で写真家でもある藤原新也のエッセイを読んでいて昔の出来事を思い出し、はたと膝を打った。
彼が18歳の時というから、もう50年以上も前の話である。九州の門司から初めて上京し、東京駅に着いたのは夕暮れ時であった。神田の方に歩きだし食事をしようと、とあるラーメン屋に入った。そこでラーメンを注文し、いざ食べようとして目が点になるのである。少し長いが原文から引用する。
「その食品は異様な色をし . . . 本文を読む
沖縄県立博物館の出品による特別展があると聞き、小郡市の北部丘陵地にある九州歴史資料館に行って来ました。同館は九州と銘打っていますが、福岡県立の歴史博物館です。常設展は大宰府政庁を中心とした歴史資料を展示しているようです。
建物は延べ床面積が1万㎡近くあり、ロの字型をしたシックなデザインです。
特別展は常設展示室の一部と別のオープンな展示室に分けて展示してありました。アフ . . . 本文を読む
日本人は外国からどう見られているかを非常に気にする国民だそうである。外国人から見た日本論といえば、例外を除いてまずは明治初期に遡る。
日本が開国してから多くの外国人が来日し、様々な日本滞在記を書いた。その多くは外交官や政府のお雇い外国人である。それらの本を読むと当時の日本社会の様子が彷彿として楽しい。もちろん批判的に見ている面もあるが、おおむね好意的である。
後進国であ . . . 本文を読む
多くの方のブログで梅の便りが聞かれるので、私も行ってみました。こちらでも梅の名所はあちこちにありますが、久留米でいえば梅林寺の外苑です。
山門です。梅林寺は久留米藩主有馬家の菩提寺でもあります。梅林寺は禅林道場で基本的に拝観拒絶と聞いていますが、外苑は市民に開放されています。
外苑の梅林です。残念ながら蕾はまだ膨らみはじめでした。僅かにあちらに一 . . . 本文を読む
図書館で定年後の生活について書かれた本が目にとまりました。私は人はそれぞれの人生があると思っているので、この手の本は読まないのですが、この日はつい手に取って借りてしまいました。定年後の現実といったような書名です。
最近は老後に関する本が多いですね。図書館では特設コーナーが置かれたりします。それだけ高齢者が増えて需要が多いということでしょう。健康や生きがい、ハッピーシニアライフとい . . . 本文を読む