田園都市の風景から

筑後地方を中心とした情報や、昭和時代の生活の記憶、その時々に思うことなどを綴っていきます。

交通マナーと県民性

2015年08月05日 | 話の小箱

 県民性という言葉がある。それぞれの気質の違いということになるだろうか。それは各地方の地形や歴史、風土によって育まれてきたものである。また県の中でも地域によって住民の性向に違いが見られ、むしろ昔の藩ごとのお国柄といった方が良いかもしれない。

 福岡県でも筑前、筑後、豊前があり、それぞれの気質の違いが語られる。海に開かれた福岡の開けっぴろげ、内陸平野の筑後の粘着質、筑豊の川筋気質などである。

 以前、筑豊出身の方と一緒に仕事をした時、「筑豊の人間は気性は荒いが、一旦わかったと言えばそれでおしまいである。しかし筑後の人間はわかったと言いながらも、いつまでもぐずぐず言う」と愚痴をこぼされたことがある。さもありなんと思う。

 そこで交通マナーの話である。最近道路が整備されて、私の住む住宅街に入り込む車が格段に増えた。それも速度制限を守らず、交差点で一旦停止や徐行をしない車が多い。今まではそれほど気にならなかったが、街中で交通マナーについて考えることが多くなった。

 いつも目にするのが、赤信号になっても交差点に進入する車である。反対側の信号がに青なるまで若干の時間差があるが、それを見越して入ってくるのである。お蔭で、右折しようとしていた対向車線の車が交差点に取り残されることもある。

 また、交差点でないところで横断歩道を渡ろうとしていても、なかなか車は止まってくれない。無理して渡ろうとすると、はねられかねない。横断歩道の真ん中で立ち往生することもある。

 どこでも同じだと思っていたが。どうもそうではないようだ。以前、熊本県の人吉市に行った時のこと。人吉は盆地にある小さな城下町である。その町で横断歩道の端に立つと、通過しようとしていた車が停止して、歩行者が渡り終えるのを待つ。一度だけではなく、何度やってもどの車も止まってくれる。同行していた人も感心して「さすが人吉だけあって、お人好しだね」と冗談を飛ばしていた。

 これは県民性によるものなのか。してみると福岡県民は自分本位で気が荒いのか。県別の事故発生率を調べたことは無いが、県民性の違いも影響するのだろうか。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 大英博物館展 | トップ | 「道の駅おおき」と「もった... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

話の小箱」カテゴリの最新記事