HAYASHI-NO-KO

北岳と甲斐駒ヶ岳

コンコードのこと

2014-10-16 | 【独り言】


以前書いた「懐かしいマッチ箱」には、このコンコードのマッチ箱が見つからないと書いた

     
神戸の繁華街は、神戸駅から元町・三ノ宮駅の間にある。
震災以降はかなり様相も一変してしまったけれど、昔は元町・三ノ宮辺りが一番の賑わいだった。
学生時代、神戸の西端に学校があったが、
国鉄利用の仲間たちの多くは三ノ宮以東からの通学だったから、
しばしば授業のあとには繰り出したものだった。
たいていは、四五人だったから、元町駅地下の麻雀荘だったけれど、
時には議論好きの仲間達と、喫茶店で数時間議論を重ねた。

元町駅と三ノ宮駅の南には、三ノ宮センター街が東西に延びていた。
センター街の西、元町寄りの一筋南、トンカツ屋の角を南に折れた場所にこの喫茶店はあった。
一階に四人用のテーブルが二つ、カウンター席が七つ。
二階は四人用のテーブルが五つと二人用が一つ。
最初にそこを紹介してくれたのは、中学時代の同窓・柳本、近くの銀行が仕事場だった。
国際会館での労音例会の後は必ず立ち寄っていたから、
いつの間にか「音楽狂いの山ヤさん」と呼ばれるようになってしまったが、
柳本と一緒の時は殆ど山の話はしなかった。
そこは、ワンゲル仲間との果てしない議論の場にもなっていたし、
同じ山仲間の神戸女子薬大・旅行部メンバーとの打ち合わせ場所にもなっていた。

東京転勤の数日前に挨拶に出掛けたが、
その後経営者も代わり、震災後は店そのものが取り壊されて、
今はパン屋さんになっている。


二階の見取り図 同じ日に一階・二階ともに描いたけれど、
座席の一部が間違っていたので後日描き直したもの。

椅子の部分に名前が書かれているのは、昭和42年2月にここを訪れて議論した、ワンゲル仲間二人の名前である。
今週末に舞子で顔を合わせることになっている。

またこのイラストを描いた翌年、当時、薬大一回生だった佐野礼子と神戸港を散策した後、
冷え切った体を暖めようと何度目かのこの場所を訪れた。

二階の背もたれのない丸椅子のテーブル、二時間近く話しこんでいた。
その年の三月、故郷に戻った彼女を訪ね、雪の大山を見る約束をしている。


OCNブログ人 2008-10-15 13:22:10
挿入図のリンク切れを2016.02.24に修正した。

ロマンチストの独り言-25 【コンコード】


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