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昔、鉄ちゃんがいました。国鉄編4

2004-12-08 | 番外編 鉄道など



国鉄40系モハ40形改造車
国電初の20m両運転台電動車であるモハ40形。
大半が片運転台化されたが、計画からはずれた15両の内5両は
電動機をMT30に付け替え出力アップ、新形式61形を与えられた。
クモハ61001 の種車は旧40002

国鉄40系モハ60形
主電動機MT15からMT30へ出力増対応されたモハ41形は 形式変更されてクモハ60形となった。
電動機変更、完全溶接で窓帯なしのノーシル・ノーヘッダ車である。
天オト 7両、大ヨト 4両の配備だった。

国鉄42系モハ43形改造車
42系モハ43形(2扉)の、4扉ロングシート改造車。
台車をモハ40・41のものと交換し、低速化したもの。
43形台車をはいたモハ40・41形は51系へと改造された。
101系登場までは、環状線で使用され、その後片町線に転用された。

国鉄42系モハ42改造車 クモハ32001 天ヨト
旧42系モハ42形の4扉ロングシート改造 4扉化されたのは42002、03、04、07、10 
この内03、04は戦災消失。 1953年に3扉化されたものが、32000、01、02となった。

国鉄40系モハ41形改造車
1939年増備のモハ41形の主電動機を、従来の標準形MT15・100kwから、MT30・128kwに変更。
モハ60001~60028に形式変更した。
大垣にて、クモハ60062+60069 の2連。

国鉄40系モハ40形 クモハ40074 西トタ 
国分寺駅からの支線・下河原線の単行 両運転台のまま残った数少ない車両。
仲間の内、後部運転台を撤去されたものは41形に、
片運化の際、ギア比変更されたものは51形に、
出力アップ車は61形に形式変更された。


国鉄63系クモハ73900
全金属車両化された一両、 運転台側の窓を10度傾斜させた。

国鉄63系モハ72946
全金属車両、ノーシル・ノーヘッダーのすっきりしたモハ72900台

国鉄クモハ73900
クモハ73形の全金属車体化改造車に対してのメモ書き。
この種の膨大なメモ書きがアルバムに貼り付けられたり挿入されている。
特に旧型国電のメモが多いのはそれだけのめり込んでいた時間が長かったからだ。
鉄道ピクトリアル誌からの抜き書きが殆ど。

国鉄63系クモハ73233
左は、1974年夏から運用開始となる試運転中の103系電車。

国鉄63系クモハ73315
旧型改造車で、形式は同じクモハ73形になっているけれど、 二台の車両はかなり違った顔つきになっている。
後方は、配備が始まった当初の103系車両。

国鉄クモハ51系
クモハ51010 大アカ 51形唯一のガーランドベンチレータ。
明石電車区の西側には、長い跨線橋があって 電車区の全景が撮れた。
架線が邪魔だったから、走行中の列車は殆ど撮れなかった場所。

国鉄40系クモハ41027
福塩線ホームで撮った。 濃い青色の福塩線塗色。
クハ68024+クモハ41018+クモハ41027

国鉄40系クモハ40050



国鉄63系クモハ73形
戦後の復興期に活躍した、63系モハ63形を継承したシリーズ。
戦後の大量輸送用に供されたモハ63だが、順次モハ72形中間電動車への改造が施されることになった。
ただ、運転台設備を全部撤去するよりも、一部残して電動制御車とすることの方が効率も良い、
との 判断で登場したのがクモハ73形である。
社会人としての最初の五年間、毎日通った兵庫駅に進入する73系7連。

国鉄40系クモハ60形
クモハ60151 昭和14年度以降製造分のモハ40形は、出力アップ対応されてハ60形へ形式変更された。

国鉄クモハ54

クモハ54+モハ70+モハ72+クハ68 新幹線岡山開業前の西明石駅。
西明石・京都間の各駅停車は、4両編成が主体。
主力は戦前形の51系から戦後型の63系に移り、桜木町事件の後は、鋼体化された72形、79形に移りつつあった頃。
制御車はまだまだ戦前形の51系が主力だった。
出力不足を補うために、3M1Tの編成。
先頭のクモハ54は、中間電動車のモハ54を制御電動車に改造した車両で、少数派だった。



国鉄63系サハ78196
63系モハ63時代、サハ代用だった車両群から、運転台を撤去して完全にサハ化した車両。

国鉄32系サハ48041
1931年製造の32系クロ49001(皇族用電車)を 戦後、伊東線用一般車のクロハ49000に改造・改番。
その後の更新修繕で運転台撤去、便所撤去・貴賓室部分の一部を普通席化してサロハ49に改番。
1963年に、格下げしてサハ48に形式変更され、中央部分にあった扉を端部に移した。
従って、窓配置に旧種車の面影が残るのみである。
サハ48040、48041との2両のみで、共に岡山区に在籍していた。

国鉄32系サハ48018
長距離電車として昭和初期に横須賀線に登場したシリーズ。
2扉クロスシートの原形タイプで、宇野線運用されていた。
この画像を撮った当時、サハ48形原形タイプは豊橋電車区に2両、岡山にも2両在籍していた。
岡オカ48018 48027  静トヨ48021 48024

国鉄サハ48形 サハ48018 岡オカ
昭和5年、横須賀線用として登場した国鉄最初の長距離電車、2扉クロスシートの32系サハ。
戦後の一時期、連合軍専用や代用2等車として利用され、
のちに中間電動車(モハ)の増備によって クハ47形(50台)、クハ68形(210台)への改造が続いた。
写真のサハ48018は、最後まで原型タイプとして残った4両のうちの1両である。


国鉄クモハ51系3
クモハ51001+クモハ51068+サハ57058+クモハ51037 宇野線各駅停車。
余剰になりつつあったクモハを三両つないだ贅沢な編成。
付随車サハ57形は、1・2等合造車だった40系サロハ56形の3扉改造車。

国鉄クモハ51系1
クモハ51075+サハ48040+サハ58020+クモハ51039
クモハ51075 40系モハ40形モハ40007の片運(後部運転台撤去)改造車
サハ48040 32系クロハ49001改造車(2扉のまま)
サハ58020 42系流電第2編成サハ48030改造車(3扉化)
クモハ51039 原型タイプ(半流・片運転台)


国鉄クモユニ141-6
新性能の郵便・荷物合造車 旧型車両からの改造車や、80系車両が殆どだった事業車も、 やっと新性能車が登場した。 中央線115系と併結される為、いわゆる横須賀線塗色になっている。

国鉄クモユニ82800
郵便・荷物合造車。 中央線115系の中央線新宿方に、クモニ83形と二両併結されていた。
63形モハから運転台を撤去して中間電動車化されたモハ72221が種車
モハ72には500台の新造車も登場している。

国鉄クモヤ22001
クモヤ22001は、当初コンテナ輸送用として2両試作されたもの。
種車のクモハ11221を無蓋化し、台枠・台車を補強したために面影は全くない。
特徴的なのは、パンタグラフ位置で積載物に支障のないように、 前寄りに移され、EF57風である。
テスト運用の後、22001は大船工場内の入換え用に、
この22001は、大鉄局に転属となって木製側板をつけて、 配給車として使用された。

国鉄クモル23000 配給車。
クモル23は、両運転台付き、クモル24は片運転台付きで車輪・修繕用部品などの輸送に使われていた。
クモル23000は、種車のモハ31形の面影を色濃く残していた。


国鉄クモル23形
明石電車区にて。 東海道・山陽本線の緩行線は、京都・西明石間だった。
その運用に使われていた電車群は全て、高槻電車区(大タツ)と、明石電車区(大アカ)に所属していた。
事業用車両の一部は、吹田機関区の所属もあったが、 大半は大アカ所属で、殆どはここに揃っていた。
クモル23000は、種車の30系モハ30を経由して改造された旧クモハ11213の面影を色濃く残していたが、
このクモル23060は、木造車を鋼体化したクモニ13022がベースとなっている為、かなり趣が違っている。


国鉄列車運行路線図
1967年当時の関西と山陰方面を結ぶ「優等列車」は、ほとんどDCだった。
時刻表から、その一部を抜き書きしたもの。



1958年4月の姫路電化
開通当日の神戸新聞朝刊・広告記事から 小学6年生だった。
試運転電車で姫路まで遠足に出掛けた。
乗った車両は間違いなくこの80系だったはずだ。


時刻表比較
1958年4月の姫路電化当時の時刻と、2008年3月改正時刻表との比較
確かに時代は違っているのだけれど、停車駅は殆ど変わりない。
西明石までが東海道・山陽本線の緩行区間だったから、それ以西は客車列車だった。
姫路まで電化され お陰でずいぶん時間は短縮された筈だ。
それでも、50年後の到達時間を比較すると、こんなにも違っている。


画像下のコメントは原文のまま、撮影順にはなっていない。

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【その後に纏めた画像】


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