HAYASHI-NO-KO

北岳と甲斐駒ヶ岳

懐かしいマッチ箱

2014-10-15 | 【独り言】

 懐かしいマッチ箱。
 高校時代から、写真帳はルーズリーフノートに、写真サイズに合わせて四隅を切り抜いて…、
そんな程度のものしか作っていなかった。
 だから、幾らでも書き込みが出来たし、何でも貼り付けられた。
旅の途中に手にした切符、駅弁の包み、メモ、キャラメルの包み紙……。
 その写真帳の中に、先日の栂池行き帰り道訪れた懐かしい「木戸花荘」の前身、
「木戸花スキーハウス」のマッチ箱を挟んである筈だ、そう思い出した。



 何度かの帰省で、幾つかの場所は片付き始めているけれど、
震災以降、殆ど手付かずのまま何が残されているのか解らない納戸の中に、
その写真帳は残っていた。
 記憶の通り、懐かしい蕨平スキー場、民宿の家並み等などの写真と共に、
「木戸花スキーハウス」のマッチ箱(実際には、木度花、だったが)が挟んであった。
栂池からの帰路、四十年ぶりに懐かしい人たちと 会い、
雨が降る中を下って行く途中に見つけた、元の民宿。





 「あっ、この石垣、あっ、この大きなカーブ…、」などと、
年甲斐も無くはしゃぎながら撮った写真と、殆ど変わらない雰囲気の白黒写真も出てきた。



  もう一つのマッチ箱は、京都・河原町にあった「しあんくれーる」、
立命館大学近くのジャズ喫茶は、何度出掛けただろう。
 大学時代、何度も神戸・三ノ宮にあった「コンコード」で語り合った友とそこを訪れ、
殆どジョン・コルトレーンばかりを聴いていた。
明るい日差しは差し込んでいたけれど、紫煙で薄暗かった。
 そうだ、喫煙を止めてもう三十年以上経っているけれど、当時はヘビースモーカーだった。
だから、あちこちのマッチ箱が残っているのだけれど、
一番足を運んだ筈の「コンコード」の細長いマッチ箱だけは見つからなかった。

   【別ブログ 栂池の花たち】
その後、コンコードの細長いマッチ箱も見つかったのでリンク追加した。

リンク切れを一部変更
OCNブログ人 2006-07-30 23:48:37


6 コメント

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「シアンクレール」なんて、涙が出るほど懐かしい... (ロシナンテ)
2006-08-01 00:18:54
「シアンクレール」なんて、涙が出るほど懐かしいです。
カメラ屋に勤めていた頃、土曜日23時東京駅発の京都行き東名バスで、しょっちゅう京都へ写真を撮りに行ってました。
その頃、何回か、シアンクレールに行きました。
紫煙の中で若いお坊さんたちの一団が、じっとコルトレーンを聞いていた異様な雰囲気に出会ったことを思い出しました。
確か、植草甚一のエッセイを読んだのがきっかけだったと思います。
その頃は、アイスコーヒーを「冷コー」と言うことも覚えていたはずです。
新宿の「ピットイン」も行きました。
来日したサド・ジョーンズに、当時、発売直後の録音機能付きのフジカ・シングルエイトを届けたこと、ローランド・ハナが、べろんべろんに酔っ払って、ステージで、それでも見事なピアノを弾いていたこと、たくさんたくさん思い出しました。
安月給でも、豊かで贅沢な自分だけの時間を持っていた頃、一遍に思い出しました。
シアンクレール、確か「明るい場所」の意味だったと記憶しています。
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何処で話が繋がるのか、不思議な気持ちです。 (林の子)
2006-08-01 01:12:01
何処で話が繋がるのか、不思議な気持ちです。

不思議なことに「シアンクレール」とカタカナで書く方が多かったし、そこで二度出会ったことのある高野悦子も、死後に上梓された「二十歳の原点」でそう書いているのだけど、マッチ箱にはひらかなで「しあんくれーる」と書かれていました。
「CHAMP CLAIR」は、フランス語をやっていた奴が、「直訳すれば広い野原、程度の意味」だと言っていたことを思い出します。
しかし、店のママさんは「思案に暮れる」の意味だと教えてくれました。
私は、当時はジャズよりも、クラシックにのめり込んでいたのですが、それでもコルトレーンは好きでした。
ローランド・ハナのピアノも、弾くところより叩くところが好きでした。
薄暗い店内の紫煙の中に、マイルス・デービスのポスターが壁に一杯貼られていましたね。
マッチ箱は何度か変更されていて、私は三種類持っていた気がします。マッチの入っていた中箱は赤色だったと思います。

懐かしすぎる話ですが、行きつけのサテンと言うのは、やはり紫煙にくすんだ場所ですねぇ~。
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モダンジャズですね。 (どら猫)
2006-08-05 00:30:45
モダンジャズですね。
私にはよくわかりませんでした。周りにも好きな人がおりましたので、
新宿「ピットイン」にも何度か行きましたが、とうとう理解するところまではいきませんでした。
コルトレーンのレコードも「至上の愛」でしたか購入したのですが宝の持ち腐れになってしまいました。
唯一、マイルス・デービスのトランペットに悲しみの音色を感じてドーナツ盤でしたか購入しました。
あの当時、新宿は、フーテンとかいろいろな人種がおりまして、深夜でも、人が絶えない不思議なまちでしたね。そうそう、ピストル射殺事件の永山死刑囚が勤めていたスナックも懐かしいです。
 それにしても皆さんはダンモを理解できていて羨ましいです。
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ジャズが好きだった、と言うよりも、音符至上主義... (林の子)
2006-08-05 00:57:54
ジャズが好きだった、と言うよりも、音符至上主義みたいな「音楽」が好きにはなれなくて、と言うのが正直なところです。
掛け合い、アドリブが妙に気に入っていた時代もあるのですが、結局はクラシックに戻ってしまいました。
新宿は、学生時代の山帰りに松本からの列車で降りる町でしたから、我々も結構異様な格好でしたねぇ~。
ドタ靴と飯盒を特大キスリングに括り付けて、飯屋を探してましたから……。
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おはようございます。 (yo-chan)
2006-08-16 10:56:50
おはようございます。

皆様の懐かしいお話を、楽しんでいます。

いまも新宿は、迷いますが、若い頃、叔父さんの所へ遊びに行くのに迷路をさ迷ったことが、懐かしいです。

 勝手にですが、リンクさせて頂きました。宜しくお願い致します。
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yo-chanさん、リンク設定ありがとうございます。 (林の子)
2006-08-17 00:32:05
yo-chanさん、リンク設定ありがとうございます。
今は恐らく「花」しか能が無くなっていますが、
時折思い出して昔とった杵柄を振り回したり(?)するでしょう。
なにぶん、生来のわがまま人間、年甲斐も無く
言いたい事を勝手にほざいたりしますが、
よろしくお付き合いくださいませ。

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