HAYASHI-NO-KO

北岳と甲斐駒ヶ岳

思いがけず東二見…

2014-10-16 | 【独り言】

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海に出る細い坂道に咲いていたオキザリス・クラシペス(東二見)

須磨駅から下りの特急に乗った。
明石までは途中、垂水、舞子公園(明石海峡大橋前)に停まる。
舞子公園で降りたいとおっしゃる初老のご婦人と一緒だった。
話を聞いていると、お城跡のある…との言葉。
それじゃ明石で降りないといけませんね、と訂正したまでは親切だった。
明石に着いて、お気を付けて…、ありがとうございます…、で別れた。
ところが…、である。
私も明石で降りて、各駅停車に乗り換えないといけないのに、てっきりご婦人が降りたのは舞子公園、次は明石、と大変な勘違いをしていた。

電車は、下りるべき西新町を快調に(?)飛ばし、林崎松江海岸・藤江・中八木・江井島・西江井島・魚住を通過して、東二見にやっと止まった。
そのまま引き返すのも癪だったから、何十年ぶりに駅を出た。
旧浜国道を渡り、まっすぐ海に向かって延びる古い商店街を抜ける。
右手には、二見小学校がある。
社会人一年生の頃、時々顔を出していた商店街の中ほどにあった電気・レコード店は、もう何年も前に廃業したのだろう、
看板の字も薄く、読めないくらいになってしまっていた。
商店街の外れで、左に折れると銀行があった…、と少し寄り道をしたけれど、郵便局。
記憶では確か、銀行だった筈だがこの辺りになると曖昧だ。
そこから南に行くと、瑞應寺。大蘇鉄で有名だった寺だけれど
どうも様子が違っていた。
震災の後、建て替えられたのだろうか、新しい建物が並んでいた。
その寺の西側に細い細い路地が東西に延びている。

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高校の同窓、武本が渾名をつけた一年後輩「右近」の実家が、その路地にあった。
表札は無く、郵便受けの文字も薄れて読めなかったけれど、
お兄さんがいらした筈だから今もこの家にお住まいなのだろうか。
二人で家探しに訪れたこともあったが、その時は残念ながら(?)見つからなかった。

聡明な一年後輩は、私たちの間では人気者だった。
朝の通学路だった人丸山東坂の喧噪や、山陽電車の車内での大騒ぎを、
彼女たちは毎朝楽しみにしていたのだと、後になって聞いた。
懐かしいお下げ髪の笑顔が浮かんだ。

路地を抜け、港への細い坂道を下った。
港は、すっかり様子が変わってしまっている。
町の中は、40年以上前の雰囲気がいたるところに残っていたけれど、
二見人口島の完成以降、海はすっかり変わってしまったのだろう。

思いがけず、東二見まで乗り過ごしたお陰で、
記憶の端に繋がっていた「右近」を思い出すことが出来た。


   OCNブログ人 2008-10-16 22:00:25


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