渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

英国スタンダード

2021年07月07日 | open


乗り屋仲間は、ぼっこしといける奴と、
まるで飲まない奴の二つにきっぱり分か
れる。
飲まない奴は、元々受け付けない体質の
人と、べらぼうに飲んでたのに自分に律
を課して一切飲まない奴に分かれる。

で、ぼっこし飲む奴がさっき言ってた。
これが最近気に入ってる、と。
英国で一番飲まれてるスコッチらしい。
松竹梅みたいなもんか?
でも、最近、日本酒は大メーカーの量産
日本酒ではなく、マイナー銘柄が流行り
らしくて、大きな蔵元のはあまり常飲で
は見かけない。
昔は花見などではワンカップ大関とか、
定番だったけどなあ。

酒というのは不思議なもので、金額関係
ない。
酒好き(ドランカーではなく)で、金額の
高低で種類を選ぶ馬鹿はいない。
ウマいから飲む。
たまたま高かったり、安かったりするだけ
で、本当の酒好きは、金額の高低では酒を
選ばない。
お馬鹿な夜の街スーホト系や赤坂のちゃん
ねーボトル入ります系じゃないんだから。

日本には日本酒という文化モノがある。
これ、結構、世界文化の中では重要で、
国の名前が付く酒の種類があるというの
は、それは長い酒造の歴史があるという
ことを示している。
英国圏はスコッチだし、ヨーロッパなら
ワインだ。
米国はとうもろこしからウイスキーを
発明したし、葡萄酒でブランデーなんて
もんを作った西洋人もいる。
そうした、その国独自の酒造の文化という
のは、人類史の中でやはり特筆ものだと
思う。
酒は良い。地球上、全世界にあるから。

ただ、飲めない人は飲んではならない。
そもそも、酒などは生物には不要な物だ。
生物には酒などを飲める機能は本来無い。
異物を排除する酵素の分泌が盛んな人類
のみが酒を飲めるのであって、酒が飲め
ないいわゆる下戸は、生物として極めて
まっとうなのだ。
飲める連中のほうがイレギュラーであるの
に、人間てのは馬鹿もんだから、酒が飲め
る人間は何か偉いかのような勘違いをして
いる文化が万国にある。
それ、違うから。
酒飲む生物がおかしいのであってね。
たとえ聖書に酒が出て来ていたとしても。
あれ、イェスが下戸だったら、酒は悪魔の
飲み物として、他の宗教のように忌避され
ていたと思うよ。

で、日本。
もうこれはロシア程でないにせよ、超古代
から酒好きな種族だ。
多分、稲作が発生した頃から列島の倭人
たちは酒を作って飲んでいた。
(渡来説には私は否定的。稲作は倭人文化
が原初的発祥に関与しているのではと思っ
ている。稲作は渡来した物ではなく、この
列島から本格的稲作の技法が半島大陸に
伝播したのではと)
神話を何らかの事実の神格化伝承譚とみる
ならば、天の岩戸でのヒャッハー乳出し
踊りの時も、あれは果たして飲酒無しで
やったのだろうか、と思う。

あの天の岩戸のくだりは、つい近年まで
の東京限定の春の花見のシーンだ。
とにかく、東京の花見は機動隊が出るほど
の乱痴気騒ぎをする。
私は20年ちょい前に広島県に転住して、
地元の人たちに花見に誘われて参加して
ぶったまげた。
まるで、平安歌詠み会のような清楚な桜
の花見だったのだ。
な、なにこれ?と仰天した。
聴くと、毎年そうなのだという。
ええーー!!!
だった。
東京では、上野公園も、洗足池公園も、
芝公園も、飛鳥山も、そこらぢゅうで
大騒ぎだ。あちこちで殴り合いも始まる。
洗足池などは隣りの自衛官のグループが
洗足池入り口のウルトラマンの2メートル
程ある像を失敬して来て、自分らの縄張り
のとこに立てていた。
隣りなので仲良くなって、一緒に大騒ぎ
だ。
そして、俺にいちゃもんつけて来た同じ
大学の奴はその場でスボコ血だるまにし
た。
そんなもんだ。
芝公園での花見でも、うちの上司の弁護士
にアヤつけて来たどっかのおっさんをスボ
コにした。
そんなもんだ。
当時、その頃、どっかの医師だったかが
ラジオで言ってた。
桜の色は人を常人から逸脱させる効力が
あり、それは、猿の尻の赤化と密接な関係
があると思われる、と。
それは知らないが、とにかく、東京の花見
はあちこちで殴り合いの喧嘩が起きてい
た。
江戸時代から、江戸では火事と喧嘩が江戸
の花であり、江戸者は、とかくやたらと
喧嘩した。
八方丸く収まるなんてのは江戸っ子は金輪
際ごめんこうむりましょうよ、そいつは。
そんなのぁ勘弁してくれろ、てやつだ。
この「勘弁してくれろ」は江戸特有の言い
回しの感覚なのだが、カッペはこれを
「ひれ伏した」とか勝手に勘違いする。
江戸っ子の「勘弁」は「まっぴらごめん
だ、このスットコドッコイめ」という意味
なのだ。誰がおめえに許しなんぞ乞うか
よ、このまぬけ!というやつなのだ。
江戸の勘弁は勘弁ではない。さらさらごめ
んなこったい、という意味だ。

ところが。
東京の花見が変質した。数年前。
鳴り物禁止。騒ぐの禁止となった。
目黒の碑文谷公園で花見が禁止になった
のは、うちの会社の東京生まれ育ちの取
締役たちが裸踊りをやったからだが、まあ
そうした江戸時代からのきっぷはもう否定
されるようなコンプライアンス世の中にな
ってしまった。
海の家でさえ音楽を流さないという実に
たわけた事をやらされている。
隣りのザーマスみたいな連中が日本を牛耳
りはじめた。うちの子に限ってとか、宅は
そうざます、みたいな連中に日本人がみん
ななろうとしている。

くそくらえなんだよ、そんなのは。
ろくすっぽ食事作法や日本人としての行儀
作法、礼法さえまともにできないナチャッ
の連中がこぞってそうしたコンプライ
ンスにっぽんを作ろうとしている。

くだらねえー。
花見で人殴りはよくはないが、今の日本
人、多くがみんななんだか檻の中の囚人
みたいだど。いや、まじで。
みんな、首の後ろに国家管理のバーコード
でも埋め込みたいの?
そのうち、そうなるだろうけど。

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