髭のプーサン日記

日本ハムファイターズを中心にスポーツ全般の観戦日記です。
ときおり姓名判断でのお名前に関することを書いています。

日ハム 過去7度の優勝を振り返って。

2016-10-10 01:01:14 | 北海道日本ハムファイターズ

2016年のパリーグは北海道日本ハムファイターズが、福岡ソフトバンクホークスを劇的な逆転優勝で下し、前球団名の東映フライヤーズを含めて7度目の優勝を果たしました。



今では前身の東映フライヤーズといっても、知る人は少ないと思いますが、かっては「東映」といえば松竹、東宝、大映、日活などの映画全盛期の映画製作会社であり、東映フライヤーズは東映映画社長の大川博氏がオーナーを兼任していたと記憶しています。

ここでは日ハムの過去7度の優勝の軌跡を振り返り、私の記憶の一端を紐解きます。
私自身は日ハムが北海道移転以降のファンですから、間違った認識もあるかと思いますが、そうであればご勘弁下さい。

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球団としての初優勝は1962年でした。監督は名将の誉れ高い水原茂。
1962年、阪神との日本シリーズで最高殊勲選手(MVP)に選ばれ、喜ぶ東映の土橋正幸選手=兵庫・甲子園



日本シリーズでは阪神を破り日本一の原動力となりました。
当時は暴れん坊軍団といわれ喧嘩早い選手が揃っていました。
この年は土橋と種茂(捕手)の2名が最優秀選手に選出という珍事も。ちなみに張本勲選手はパのMVPを獲得。

後に土橋はヤクルト、日ハムで監督をしますが、ヤクルト時代に栗山英樹選手(現日ハム監督)を若松勉選手の助言をとりいれスイッチヒッターに転向させたのが土橋監督です。
監督としては才能を発揮できなかったものの、日ハム=栗山監督とは面白い「縁」でつながっていたのです。



浪商を中退し東映フライヤーズに入団した尾崎行雄投手。当時は怪物尾崎といわれ球速は当時で150キロを超えていたとも言われた名投手でした。
肩を壊して後年は活躍は出来なかったものの、入団そく日本一に導いた功績は語り継がれています。
高校中退(2年)でこのような活躍をした選手は、後にも先にも出てこないでしょう。
尾崎行雄Wikipedia

日ハム2度目の優勝
球団としての2度目の優勝は1981年でした。前期・後期に分けての戦いのなか、前期はロッテが優勝し後期は日ハムが勝ち、頂上決戦ではロッテを3勝1敗1分で下し19年ぶりの優勝を果たします。
監督はすでに故人となった「大沢親分」でした。





<ロッテを破り後楽園球場を周る日ハムナインと大沢監督>


この年は本塁打・打点の2冠王はソレイタに、プレーオフMVPには柏原純一内野手が選ばれます。柏原は2015年は栗山監督のもと日ハムコーチをしました。

日本シリーズでは日ハムと同じ後楽園を本拠地とする巨人た相対しますが、日ハムのクリーンナップを占めたクルーズの故障離脱もあり2勝4敗で涙をのみます。
この時には巨人から移籍をしていた高橋一三(14勝)、江夏豊は広島時代からの3年連続でのセーブ王となり、前々年太洋ホエールズから移籍をしていた間柴茂有(富裕から改名)投手が15勝無敗(15連勝は田中マー君に破られるまでは記録を維持)というとてつもない快記録を挙げています。

HBC解説者の大宮親分(大宮龍男氏)は守備(捕手)では長年にわたり3チーム(日ハム・中日・西武)で活躍をしましたが、優勝をした前年の1980年には南海戦の大阪球場で、サイクルヒットを達成しています。これは選手としては大変な偉業です。

日ハム3度目の優勝
3度目の優勝は日ハムが本拠地を北海道に移したのちになります。

2004年札幌市に本拠地を移転し名称も「北海道日本ハムファイターズ」に変わりました。監督は2003年に続きトレイ・ヒルマンが着任します。
2003年末には大リーグから日本に帰ってきた新庄剛志が新たに加わり、この年から導入をされたプレ-オフでは3位の日ハムと2位西武と戦いますが、1勝2敗で涙をのみます。
しかに、この年のオフには大リーグを諦めた稲葉篤紀選手が入団し、ドラフトではダルビッシュ・有を指名獲得をします。

2005年は球団新記録となる11連勝を記録し、CSではソフトバンクを下し25年ぶりの優勝を飾ります。ガッツ小笠原道大選手が本塁打・打点の二冠王に。投手陣では八木智哉が12勝をあげ新人王となりました。
ちなみに日ハムのエースとなるダルビッシュ・有投手は、この年12勝5敗1ホールド 3完投2完封の活躍を見せます。


〈25年ぶりの優勝を果たし札幌ドームで胴上げをされるヒルマン監督  右端は引退を表明していた新庄選手〉


レギュラーシーズンを制した日ハムは日本シリーズで中日を下して44年ぶり2度目の日本一に輝きます。

〈胴上げされる日本ハムのトレイ・ヒルマン監督=札幌ドーム〉



日ハム4度目の優勝

2007年の5度目の優勝は、出だしは不調を極めますが、5月から6月にかけて前年の11連勝を更新する14連勝という球団記録を作ります。
しかしCSは制するも日本シリーズで前年対決をした中日に雪辱をされ2年連続での日本一は逃してしまいます。

〈2年連続でパリーグを制したT・ヒルマン監督ですが、この年を最後に日本を離れます〉


連続優勝は鉄壁の守備陣があったからとも言われています。
外野は新庄は抜けても後を引き継いだ陽、森本(稀哲)、稲葉がセパナンバーワンとも言われる、華麗な外野守備を見せ内野では小笠原、田中(賢介)、小谷野、金子が抜群の堅実な守備を見せます。投手陣ではダルビッシュが15勝5敗0S 防御率1.82という好成績をあげています。


日ハム5度目の優勝
5度目の優勝は梨田監督に代わっての2009年になります。
この年はすたーとからマックこと金子誠が日本プロ野球新記録の7試合連続二塁打を達成し、投手ではダルビッシュ・有と今年引退を決めた武田勝が頑張りました。
またリリーフ陣では巨人から移籍をしてきた林昌範、生え抜きの江尻慎太郎、宮西らとストッパーでは武田久が無敗のまま最多セーブ投手に輝いています。

打撃陣では稲葉、糸井、高橋(信)、金子が打率3割を超える活躍をします。
その勢いでCSを制し日本シリーズでは巨人と対戦をしますが、2勝4敗で日本一を逃してしまいます。
〈梨田監督の胴上げシーン  写真中央の小谷野は後にオリックスへ八木智哉投手は引退と〉


日ハム6度目の優勝
2011年のシリーズ終了後に梨田監督から指揮権を任されたのは、コーチ・監督のいずれも経験がなかったプロ野球解説者の栗山英樹というTVでは顔は売れていても、監督としてはまったく未知数の人物でした。

どのような経緯で監督となったのかは、秘密のベールに包まれていますが、元ヤクルト選手でこれという実績もなく、「ニュースステーションのスポーツキャスターが監督になった?」ことには、道民も驚いたはずです。

私も実のところ驚いたのですが、日ハムが札幌ドームに来る前はヤクルトファンでもあり、スイッチヒッターで守備は非常に上手かったという記憶はありました。
またヤクルトからは稲葉篤紀選手が来ていたので、良い結果が出る期待はあったものの、就任をしたその年に優勝をするとは、まさに青天の霹靂ともいえる出来事でした。
エースだったダルビッシュがテキサス・レンジャーズに移り優勝はあり得ない状況でしたが、この年は大きく成長を果たした糸井嘉男と武田久の活躍が際立っていました。
また札幌ドームでの「イナバジャンプ」が名物となり、観客と選手のパワーが優勝への道を開いたのかも知れません。
日本シリーズではまたもや巨人に2勝4敗と破れ日本一の栄冠は得られませんでした。



日ハム7度目の優勝
まさに奇跡の逆転優勝を飾った栗山監督と日ハムナインですが、優勝の原動力となったのは、何よりも大谷翔平の投打による活躍でしょう。

まるで漫画の世界のヒーローの誕生と言えます。投げては日本最速記録となる164キロを記録し
10勝4敗。打っては打率323で22HRですから誰もが脱帽という活躍でした。
また年間チャンスで打てない4番中田翔も不調ばかりが目につきましたが、110打点で打点王となり、スシボーイのレアードは39本塁打でのホームランキングを獲得したのは特筆ものです。
チャンスに打てるスシボーイはCSそして日本シリーズで活躍をすることと思います。
CSではどちらかと言えば苦手としているロッテが破れ宿敵SBが上がってきましたが、レアード、中田の打撃には期待が持てると思います。

地元札幌ドームでのパ頂上決戦日は迫ってきましたが、ここで大谷、増井、有原(高梨?)でものにしてできる事なら広島で日本一を争って欲しいのですが・・・。
果たしてどうなるのでしょう?
楽しみです。



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